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2005.02.09

アメリカとイスラムの意外な共通点

 ~西欧諸国で優勢のリベラルなキリスト教解釈では、宗教信仰は個人の内面に限定される。「信仰の自由」とは、あくまでも個人の内面における信仰である。それを踏み越え、社会的に信仰を誇示し他者に強制すれば、他者の自由の侵害として抑制される。他者の自由を認めたうえで初めて自らの自由も保障されるというのが、近代の自由主義社会の基本原則である。
 ところが、イスラーム教の支配的な解釈では、宗教は個人の内面にのみ関わることでなく、社会全体で実践されてこそ意味を持つ。信仰の自由とは「正しい宗教(イスラーム教)を信じる自由」であり、それを妨げる他者を規制し「導く」ことも「信仰の自由(正確には権利であり、義務である)」というのが基本的なイスラーム教の信条で、中東諸国では常識とされる。~
~西欧近代の価値基準では「宗教の他者への強制」となるが、イスラーム教の観点からは「宗教の自由の実践」と見なされる事例をめぐり、絶えず紛争が持ち上がりかねない。~

 以上は日経ビジネス1月17日号の中東学者の眼というコラムに池内恵氏が「トルコのEU加盟に伴うリスク」と題して書いている文章の一部ですが、どこかアメリカの論理と諸外国の反発の構図にも当てはまるように感じます。
  
 宗教を広めることは自由です。ただ、他者への強制となる活動には制限が加えられるのだろうと思います。同様に、アメリカの「自由」を広める活動も、何らかの制限が必要なのでしょうか。
 
 「自由」を認める人は、「自由を否定する自由」をも認めてしまうことがあります。「自由を否定する自由」を認めたうえで、「自由」を広める活動に制限が加えられていたら、自由を否定する勢力が強くなって自由を認めることができなくなる可能性があります。自由を否定しないためには、「自由を否定する自由」を認めないか、「自由」を広める活動に制限を加えないか、あるいはその両方が必要です。「自由を否定する自由」は、認めようと認めまいといつでも生まれてきます。いつの時代も現在の体制に不満を持って体制を否定する人はいます。この人たちも実は必要で、プラスの方向に働けば、改革を実行してくれて、マイナスに働けば、テロリストなどと呼ばれます。プラスの面がある以上、一概に「自由を否定する自由」をダメと言うわけにはいかず、「自由を否定する自由」を認めなくてはなりません。

 そうすると、「自由」を守るためには、「自由」を広める活動に制限を加えるべきではないということになります。アメリカの政策は多分正しいのだと思います。イスラム教が布教活動をするように、アメリカが自由を広める活動に制約を加えることは適切ではありません。皮肉なことに、両者ともその活動によって死者を出しても目的を完遂を優先するという共通点を持っているようです。

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