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2005.05.26

トップの責任ー天皇

 25日の日経の「春秋」に、新生銀行の八城政基会長兼社長の著述が引用されていました。

日本企業では、いろいろ問題が起きたときに、『会社側は知りませんでした』とか、『下の者がやりました』とか、『会社のトップは全く知らなかった』と釈明するケースがありますが、米国の会社ではそうはいきません

 これは、橋梁工事業者の談合を批判するための引用ですが、トップが責任を取らない体質というのは、他でも目にすることだと感じます。トップが責任を取らないというより、周りが責任を取らせないのかもしれませんが、最近そのことを強く感じたのは、4月の衆参の憲法調査委員会の報告が出たときでした。

 憲法改正には基本的に賛成ですが、報告案では象徴天皇制を維持するということでまとめられていた点には、何か違和感を感じました。当初、これは天皇制そのものを快く思っていない左派に対する懐柔策かと見ていたのですが、どうもそうではないようです。憲法調査委員の話を新聞等で読んでみると、元首ではなく象徴天皇制を支持するのは、天皇制を未来にわたって長く維持するためという意見によるもののようなのです。

 表向きは、天皇は他国の元首と性質が違い、各国にいる「元首」などと比較すらできないものであるといいます。2,000年にわたって続いてきた王家は他になく、今後も永続してほしいと思う気持ちは自然なものでしょうが、他国の元首と違うから「象徴」というのはどんなものかと思います。その裏には、太平洋戦争の敗戦によって日本が占領されたとき、このときは天皇制存続の危機であったという見方があるように思います。

 明治憲法下では、天皇機関説は受け入れられていなかったとはいえ、実際には機関説に近い運用であったことは確かです。しかし、当時の憲法で天皇を元首と規定していますから、敗戦時、天皇の処遇を心配した人が多かったのでしょう。直近での天皇制存続の危機が敗戦時だったとすれば、その危険を取り除くために元首とせず、名実ともに一切の権力を持っていないことを明らかにして、どんな国難に見舞われようとも天皇制は存続させようという意図が見えてきます。

 確かに天皇制維持を目的とすれば、非常にうまい方法ではあります。しかし、日本国が苦難に陥っているときに、天皇だけは安泰でいて果たして天皇への親密感が増すのだろうか、またそこまでしてなんになるのかと思います。戦後の日本の復興に天皇制がなかったらどうなっていたかは、仮定の話ではあっても、日本がこれほどの発展を遂げたかどうかははなはだ疑問です。その意味で、天皇制存続を第一に考えるのかもしれません。ただ、事実としては、敗戦時に天皇制はどうなるかわからなかった状態で昭和天皇がマッカーサーに会見して、自らの命乞いなど一切せず、国の復興を第一に求めたということです。天皇自身が天皇制の存続よりも、国の未来を優先したからこそ、戦後天皇制の元で日本は発展できたと考えるほうが素直な見方だろうと思います。それも、天皇は元首だからこそであって、象徴であったらこうなったかどうかはわかりません。

 天皇に何の権能を持たせるべきではないことに異議はありませんが、ただ存続させるためにそこにいるだけでは、長い歴史のなかではいずれ人心が離れていくような気がしています。政治家という「下の者」がやったことであっても、天皇は元首として責任を取る姿勢をとっていただくからこそ、天皇制を維持していくためには政治家や多くの国民は天皇に責任をとらせるようなことはしないように、自制心をもった行動ができるのではないでしょうか。2,000年も続いた天皇家を元首に戴く国の国民としての誇りを持つことにこそ、天皇制の本当の効用なのだろうと考えます。

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2005.05.24

中国元切り上げの影響は?

 中国元の切り上げは、日本にいい影響を及ぼすのかどうか。アメリカ政府が中国に元切り上げを求めるニュースを聞くたびに、中国株へ投資する投信や中国へ進出している日本企業の業績にどのような影響が出るのか気になっていました。急に帰ってしまった、中国のおばちゃんみたいな副首相は、いずれ切り上げるかのようなことを言っていたようです。いつどうなるか分からないことではありますが、日本にどう影響するのかという見通しや意見を聞きたいなと思っていました。テレビのニュース番組などではあまり突っ込んだ話しは聞いたことはありません。そこへ、23日の日経新聞に興味深い調査が出ていました。

  元切り上げは、日本にとってプラスになると思いますか?

という質問に対する20歳以上1,000人の回答結果です。プラスになるが、27.2%マイナスになるが、18.7%どちらとも言えないが、29.0%わからないが、25.1%。どちらとも言えない、わからないが過半数を占めているくらいですから、ニュース解説者も断定的な見通しは言えないのも無理はありません。でも、もし私がこのアンケートに答えていたらどう答えたかと考えてみると、多分プラスになると答えていただろうと思います。

マイナスと答えた人の理由の多くは、
・中国に進出した日本企業にとってマイナス
・中国から輸入する製品の価格が高くなる
というものです。この理由をまとめて推測すると、日本企業は中国に進出して製品を生産して中国外へ輸出しているが、元の切り上げによって中国からの輸出コストが上がり輸出の減少=現地の日本企業の売上げ減少となり中国進出企業の業績に悪影響となる。さらに、日本へ逆輸入している価格の安い製品も値上がりして消費が落ち込むというシナリオが見えてきます。

 しかし、どうなのでしょうか。アメリカが中国に求める元の切り上げは、70年代から80年代に円の切り上げを求めたこととダブって見えてきます。71年のニクソンショック以降、360円の固定相場から100円以上切り上がっていたにも拘わらず、85年のプラザ合意を経て200円台から150円を切る水準まで円が上がっても、日本の輸出力は衰えませんでした。円が2倍を超える水準になっても競争力を保つことができた日本の企業ですから、中国に進出して元が何割か切り上げられても何とかしてしまうような気がします。

 さらに、プラスの理由として多かった答えに、
・中国がたくさん輸入できるようになり、日本の産業にもプラス
という答えがありました。日本の景気も、以前はアメリカ頼みだったのが、最近はアメリカと中国頼みになっています。中国で元高を背景に、上海などのお金持ちが消費を多くすれば、企業業績にはプラスに働くような気がします。さらに、日本企業が中国に進出しているということは、中国に資産を持っているということでもあります。日本から中国へ投資しているともいえます。個人も中国へ株式等の投資をしています。投資した先の通貨が上がるわけですから、資産価値が増大します。決して悪いことではありません。

 一説には、元切り上げは夏頃にもという話もあります。切り上げの結果どうなるのか、ちょっと気になるところです。

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2005.05.20

傭兵→ロボット→平和?

 イラクで拘束された斎藤昭彦さんの事件は膠着状態ですが、一刻も早い解放を願います。ところで、斎藤さんが従事していた傭兵という職業がすごく気になります。日本が今後軍事活動を本格化させたときに、傭兵を使うようになるのかどうか。

 イラクや東ティモールで平和を取り戻すために活躍し、国際的にも評価されている自衛隊にさえ、国内ではコンセンサスが得られないような状況で、傭兵を使うかどうかなどという話はバカげているといわれてしまいそうですが、今サマーワで自衛隊を守るためにオーストラリア軍に治安維持をしてもらっていることは、傭兵を使っていることと大差ないような気がしています。オーストラリア軍に直接報酬を支払ってはいないだけで、オーストラリア政府にしてみれば、第一の貿易相手国の日本と旧宗主国のイギリスに揃って頼まれれば無碍に嫌な顔もできなかったでしょうし、FTAの交渉もありましたから、将来的な利益を考慮してサマーワの治安維持を引き受けたことは大体想像がつきます。

 これだけではありません。日米安保にしても、アメリカは自国の利益の範囲内で日本を防衛することは当然のことですが、傭兵も自分の利益のために雇われるわけですから見返りのために他国で軍事活動をする点では、アメリカ軍も傭兵も同じカテゴリーに入ると見ることができます。日本は思いやり予算など自国防衛のための経費は支払っているわけですから、実質的にアメリカ軍を雇っているに等しいといっていいでしょう。

 傭兵は、報酬だけが目当てで忠誠心がないから良くないという一方で、ビジネスとして戦闘をするため、無用な殺戮が少なくて済み人的被害が最小限に抑えられるという見方もあります。日本国憲法は、「恒久の平和を念願し、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」います。理想として戦争のない世界を目指すことを否定はしませんが、有史以来世界に戦争がない時代はありませんでした。私が生きているであろう今後数十年間も戦争がなくなることは考えられないと思いますから、戦争との付き合い方を考えざるを得ません。

 憲法は禁じていますが戦争を紛争解決手段としてみると、それが短期間で終わるなら長々と時間をかけて交渉するよりも効率はいいことは確かです。ただし、人命が失われることは、時間や効率よりもよほど大きな損害だから戦争はやらないほうがいいといえます。そうはいっても戦争がなくならないのなら、人的被害を最小にする傭兵を使うことは一概に悪いこととは言えません。

 さらに考えると、戦闘行為をロボットに行わせるというところにまで行き着きます。以前、戦争用ロボット(ロボットの写真があります)のことを取り上げたことがありますが、どんどん進んでいって将来的には、ロボットを使った将棋やチェスのようなもので国際紛争が解決されるようになるかもしれません。そのときこそ、「平和な世の中」といえるのかどうかは私にはわかりません。

 

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2005.05.18

カネボウ上場廃止の波紋への疑問

 上場基準見直しについて金融庁長官が東京証券取引所に報告を求めていましたが、東証の鶴島社長が記者会見で大変上手いコメントを出していました。

「虚偽記載による廃止基準は開示の正確さという証券市場の信頼の根幹を守る役割を持ち、見直しには慎重な議論が必要だ」

と述べる一方で、

「環境変化を踏まえ、廃止基準を含めた上場制度全般は適宜見直す必要がある」

と指摘しています。制度の硬直化は良くないけれども、原理原則を曲げるわけにはいかないということを言っているようです。

 カネボウの上場廃止をめぐって、東証は金融庁からイチャモンをつけられています。私はカネボウの上場廃止は当然だと考えるのですが、どうも別の考え方もあるようです。

 「ある企業が再生機構の支援で立ち直った企業を買収し、過去の粉飾決算を見つけて公表した場合、東証はどう対応するのか」という疑問をM&Aの専門家が口にしているそうです。

 まずやるべきことは、その買収された企業が本当に立ち直ったのかどうかを精査することです。上場するにふさわしい企業になっているのかどうかをまず確かめなければなりません。過去に嘘をついた実績があり、再生機構が再生している間もその嘘を隠してきた企業です。本当に立ち直って、上場するにふさわしい企業なのかどうかが、投資家としてははまず気になるところです。その結果上場するにふさわしくない企業であったのなら、上場廃止はやむをえないでしょう。もちろん、買収した人に責任はありませんから買収契約は取り消すことを認めてあげていいでしょう。つまりは、再生機構が買い戻すことになるはずです。買収者が見つけられる程度の過去の粉飾の事実を、再生機構は再生に取り組みながら見つけられなかったことに落ち度があったということです。

 上場するにふさわしくなっているのなら、結果オーライですが、上場していればいいでしょう。過去の粉飾に対するペナルティがないままですが、粉飾をした当事者は商法違反か証取法違反でしょうから、粉飾当事者の責任を問えばいいことです。市場に敢えて影響を及ぼす必要はありません。仮にその当事者が再生後にもその企業にいたとしたら、それは退出してもらうしかありません。再生後の企業がその当事者なしで経営することが難しいとしても退出してもらうことが必要です。それによって買収者もしくは投資家が蒙る損害は、粉飾当事者とその企業、そして再生機構が負担するのが妥当でしょう。

 もっとも、カネボウは再生したわけではありません。再生はこれからです。そのカネボウにしても、減資と経営者の交代で実質的に新しい企業に生まれ変わっているといえるのかもしれませんが、再生が必要なほど落ち込んだ企業を、過去とはいっても粉飾の事実に目をつぶって上場させておく必要はあるのでしょうか。ファンドが企業を再生する場合には、いったん非上場にしてじっくりと再生に取り組んで立派にしてから再上場して売却するものです。カネボウを上場廃止にしてもそれほど困ることはないはずです。

 金融庁が東証に報告を求めたことは、カネボウの上場廃止を快く思っていないという意思表示なのかもしれませんが、報告を求めるべきは、上場廃止基準の見直しではなく、なぜ今までカネボウの粉飾が発覚することなく、嘘が市場でまかり通ってきたか、今後このようなことが起きないようにするためにはどうしたらよいのか、こういったことではないのかと思わざるをえません。

 

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2005.05.17

小泉首相の靖国発言を支持します

 5月16日の国会での小泉首相の靖国神社参拝についての発言を支持します。「一部の外国の言い分を真に受けて私の判断を批判するのはご自由だが、私は何ら問題があるとは思っていない」というのは、まさにその通りだと思います。今後の中国、韓国との関係を憂慮する見解も出てくるでしょうが、日中は経済関係において、お互いに必要な存在であることは証明済みですから、余計な雑音に惑わされずに正論で話ができるものと期待できます。韓国については、政権が変わらない限りまともな関係は期待できないと思いますから、韓国政府が何か言っても受け流しておけばいいのではないでしょうか。

 東アジアには北朝鮮という大きな問題があります。韓国の太陽政策は、第二次大戦直前のチェンバレン英首相の宥和政策を連想するのですが、1940年にはチェンバレンが退いてチャーチルが首相となったように、韓国のチャーチルが出てくることを期待したいと思います。

 ともあれ、戦没者追悼について他国の干渉を否定する意思を明確に示したことは、大いに評価できます。靖国問題で、外交や経済関係に影響が出るという事態が異常であると考えることが素直な考え方でしょう。原則論はときに否定されがちですが、現実主義に囚われすぎて原則を見失っては元も子もないのだと思います。

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2005.05.16

喫煙者の意志

 最近タバコの量が減りました。先月買った1箱が、多少少なくなってはいてもまだあります。理由はいろいろとあるのですが、吸いたいと思うことが少なくなったということで、何か意志を持ってタバコをやめたとか減らしたということではありません。ですから、「タバコは止める」といってちゃんと止めている人は意志が強いのだろうなと感心します。タバコに関する新聞記事が目に止まりました。

社員がたばこを吸わないと宣言すれば「非喫煙者手当」を支給し・・・社員が宣言を守らずに喫煙した場合は退職か解雇となり、積立金を全額返還するという

 こんな社内規定がある会社が、労働基準監督署から社内規定の是正勧告を受けたという記事です。この会社は、ヒノキ新薬という会社で、禁煙に関する部分がHPに出ていました。この部分を読んでみるとなるほどと思うところもあります。

美と健康をお届けする企業として、全社員が禁煙を実行しています。
より良い環境で、 ひとりひとりが健康で100%の実力を発揮してほしい。そんな思いを込めて、ヒノキで は全社員が禁煙を実施しています。
素肌美と健康をテーマとする企業として、まず自ら社員の健康と清潔な職場の創造を目指すのが、当然と考えているからです。
これを具現化するために、健康積立金制度を設けて給与に反映しています。

 美と健康を促進することが使命という会社ですから、健康にも美容にもよくないタバコは全社員が吸いませんということなのでしょう。そして、既に喫煙者になってしまっている人に対しても、禁煙をすることに「健康積立金制度」というメリットをつけて禁煙を応援しますということのようです。美と健康を届ける会社としては、なかなか立派なことをしているとも言えそうです。

 ただ、社員全員が禁煙をしているということは、私のような意志の弱い人間には勤まらない会社ということなのでしょう。恐らく、社員の大多数は、もともとタバコを吸っていなかったか、禁煙を考えていたところで、ちょうどいいきっかけができたということで禁煙を宣言したのだろうと想像します。それでもごく一部には、会社の雰囲気からしょうがなくて禁煙した人もいたのだろうと思います。 

 新聞記事を読む限りでは、労働基準監督署は、「宣言を守らずに喫煙した社員に手当を返還させる社内規定を設けているのは労働基準法違反の疑いがある」ということで社内規定を改めるよう勧告したということですが、それよりも喫煙したら退職か解雇というのはどうなのでしょうか。入社するときの条件になっていて、禁煙宣言したにもかかわらず吸ってしまったのなら退職や解雇も、まあ、わからないでもありません。新聞記事やHPを見ると、入社後に自主的に禁煙宣言をして、するかしないかの選択の余地があるにもかかわらず禁煙宣言をして、吸ってしまったら退職か解雇ですよというように読めます。それにしても約200人の社員全員が禁煙宣言をしていて、宣言するかしないかの選択の余地があったといえるのか極めて疑わしい。

 「美と健康をお届けする企業」ですから、その企業の社員がタバコなど吸っていてはマズイということで、就業時間中はタバコを禁止するというのは理解できます。それでも禁煙という人の意志にかかわることを、勤務先とはいえ他人に束縛されたくないと考える私は、やはり意志が弱いということになるのでしょう。最近は、喫煙するかしないかで生命保険料も変わるそうですから、福利厚生で各種の保険などを企業が掛けるのに経費がかさむことから、禁煙をある程度強制することも一概に不合理とは言えないのかもしれません。それにしても不自由さを感じずにはいられません。

 

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2005.05.12

多摩川のシャボン玉

 多摩川の遊歩道を歩くのにはいい季節です。顔にあたる風を心地よく感じながら、川面がキラキラしているのを眺めて歩いて行くと、幼稚園の制服を着た女の子が駆けてきます。ふと後ろを振り返り、大きな声で呼びかけます。「ママー、チカー、はーやーくー」

 ママは向こうで幼稚園仲間のお母さんとおしゃべりをしています。ママの前にはベビーカーがあって、そこにいるのがチカちゃんのようです。幼稚園仲間のお母さんは、駆けてきた女の子と同じ制服を着た子の手を引いています。

 女の子は再び歩き出しました。手には大きなタンポポの綿帽子。(お願いだからそれは飛ばさないで欲しい。)ニットのカーディガンを着た私は、心地よい風を受けながらそんなことを思っていました。風上から綿帽子をフッとやられたらきっと私を直撃します。女の子は綿帽子を飛ばすことなく、キョロキョロと土手の草花を眺めながらすれ違いました。

 ママとチカちゃんに近づいてきました。「それじゃ、また明日。タカシ君またね。」ママがそういう声が聞こえました。すると、ママの前のベビーカーから綿帽子ならずシャボン玉が吹き出してきました。まるでチカちゃんがタカシ君に「またね。」といっているかのように。

 5月の昼下がりのシャボン玉は、多摩川の風に吹かれて川面のようにキラキラとしていました。そして、シャボン玉の向こうには川がゆっくりと流れています。今日、このときに、ここにいたことを感謝したくなりました。ベビーカーとすれ違って、私は小さくつぶやきました。「チカちゃん、ありがとう。」

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2005.05.11

諸行無常

 「勝って兜の緒を締める」ことは好ましい姿勢だと思います。そういう意味でトヨタ会長で、経団連会長でもある奥田氏の日米の自動車摩擦を懸念することは必要なことといえるでしょう。そして、「勝った時が負けた時、ということを頭に入れておかないと、日本の経済界は最終的には孤立する」という発言は、傾聴に値するものだと思います。

 ただ、この方はトヨタ会長としての発言と経団連会長としての発言が、どうも混同しているのか混同していると誤解されやすいのか、区別がついていないように受け取られることは確かのようです。

 GM、フォードが格下げされる中で、トヨタは増収増益で純利益はまたしても1兆円を超えて過去最高を記録していますが、日本の自動車メーカーがすべて好調なわけではありません。日産はルノーからゴーンさんが来て荒療治をしてくれたおかげでようやく普通の健康体に戻った、いわば病み上がりの状態ですし、マツダだってフォードと組んでいるわけですから苦しくないわけはありませんし、三菱自動車は果たしてやっていけるのかどうかというところでしょう。せめてホンダに期待したいところですが、売上げで約10兆円にも上るトヨタとの差はやはり格が違うといわざるをえません。

 このような状況だからこそ、自動車摩擦が起きたら大変なことになるという経団連会長としての奥田氏の危機意識は必要なことです。しかし、米国市場での日本車の値段を上げるという発想はあまりにも安易すぎました。値上げは各社の問題と言い繕っても、エンドユーザーを無視した発言は最高益を更新しているトヨタ会長だから言えることだと思います。それより、GM等の米自動車業界の不振のツケを米国のユーザーに転化しようというその発想はどこから出てきたのか不思議でなりません。各社の問題どころか、どこにライバルメーカーの業績不振を理由に製品を値上げする企業があるのか理解に苦しみます。トヨタがそういう企業なら、それはそれでいいのですが、ただ業績がいいうちは株主も大きな声で文句は言わないだけかもしれません。

 「自動車はアメリカにとって象徴的産業である」という認識が米国内にあるなら、自由競争の結果のツケを日本企業が米国市民に回すようなことをしたら、米自動車企業や米国市民はどう感じるでしょうか。逆の立場なら決して快く思わないと感じられるかどうかが、自由競争を理解しているかどうかのリトマス試験紙といえるのかもしれません。

 トヨタのトップでさえ、ユーザーをないがしろにしてしまうという間違いを犯します。「勝ったときが負けた時」とわかっていながら間違えています。「驕れる者は久しからず」いつまでもトヨタの一人勝ちではないはずです。

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2005.05.08

自分のことは棚に上げても

 JR西日本のずさんな実態が毎日のように報道されています。事故が起きた当日に職員がボーリングをしていたとか、ゴルフをしていたとか、呆れたのは事故車両に乗り合わせたJRの運転士が救助活動をせずにその場を立ち去って、職場に向かったというのはどういう心境だったのでしょうか。

 ボーリングやゴルフに行こうが、その後飲みに行こうが、行かなかったからといって被害者が一人でも救われたということはないのでしょうが、それにしてもちょっとどうかと思わざるをえません。この報道を見ていて、私は昭和の終わりから平成になったばかりの頃を思い出します。昭和天皇の病状が悪化していった頃です。

 あの頃、いわゆる自粛ムードというのがあって、派手な催し物は控えるような雰囲気がありました。日産のセフィーロのCMで井上陽水が「お元気ですか」というセリフの音が消された頃です。当時、私はまだ学生で特にそれで何かを自粛したという経験はありませんでしたが、世の中はそんなものかと眺めていました。平成になり、就職して4月の新人研修中に、私の入った会社で不祥事がありました。研修所にカンヅメ状態でしたので、肝心の不祥事についてテレビや新聞の報道を目にしなかったのですが、以降3ヶ月間全社的に社外での会社としての飲食等は自粛となりました。不祥事のあった企業の社員が社外で目に付くようなレクリエーションをして、からかわれたり、挑発的な言いがかりでもつけられて不祥事を重ねることのないようにという主旨です。が、私の配属先では私をはじめとする新人の歓迎会は、会社名は伏せましたが会場を予約して行われました。後に他の部署の同期に聞くとどこもそうしていたようです。さらに、仕事が終わった後は、先輩に毎日のように飲みに連れて行かれました。ただし居酒屋に入る前に社章バッジをはずすことだけは忘れないよう注意されていました。もっとも、普段行く居酒屋は会社の近所で、不祥事が起きる前から先輩たちが代々通っている店でしたから、店の人にはもちろん、常連客にも身元はばれていたわけですけれども。

 こんな経験がありますから、私はJR西日本の職員を一概に不謹慎だということを言える立場にはないのですが、黙って見過ごすことはできないなと感じています。恐らく、記者会見で怒号を上げる記者の方も黙っていられないという気持ちを抑えきれないのでしょうが、あの場で騒ぐよりも何が問題なのかを冷静に見極めて報道して欲しいなと感じます。あの場で、事故を知っていて上司に中止を進言できなかったのは、どういう人間性で、どういう組織だったのでしょうか。自分があの職員たちのような行動をとらない自信がないだけに、なおさらです。

 被害者の方、犠牲者のご家族の方が怒鳴りたくなるのはもっともですが、マスコミ関係者のヒステリックな対応は、ただでさえ見苦しいJRの対応の会見をもっと見苦しいものにしているように思います。

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2005.05.06

どこを変えればいいのか

 アメリカの自動車業界は、「バカ」がつくほどの市場万能主義なのでしょうか。日本の経団連会長がアメリカの自動車産業へは支援が必要だといっている傍から、日本の為替介入を非難しています。

 米3大自動車メーカー(ビッグスリー)で構成する米自動車貿易政策評議会(ATPC)は、介入によって10円の円安になると自動車1台あたり6,000ドルの補助金が出たのと同じであるといっています。しかし、為替相場は介入だけによって変動するわけではありません。為替介入をやめた昨年3月以来、昨年5月の114円64銭の円安から12月の102円02銭の円高まで、実に12円の幅で動いています。介入がなくてもこれだけ動くわけですから、むしろ介入して100円程度に固定せよとでも言ったほうが良さそうなものなのに、言っているのは介入するなということだけです。

 政府や中央銀行による為替市場への介入は、一国の経済・金融政策の一手段として認められて構わないはずです。株式市場はいわば開いている市場で、企業が発展し続ける限り、長い目で見て相場が上昇という一方向へ進んで行って何ら構わないのですが、通貨の交換比率を決める外国為替市場は、閉じた市場とでもいうのでしょうか、一方向へ進むだけでは大変なことになってしまいます。ドル円関係で言えば、経済事情によって円高であるときもなければならないですし、円安のこともなければなりません。変動相場制である以上、市場の思惑で一方的に動きすぎることもあるでしょうが、その際は一国の通貨の問題ですから国が是正しなければなりません。ですから、株式市場への政府の介入は認められませんが、為替市場への介入は認められてしかるべきです。

 ドルが暴落すると、米国債の価値も暴落して多額の米国債を保有する日本政府の財政に影響がでます。それに、金利も急上昇して米国経済が停滞して世界的な不況に陥ることもありますから、これを防ぐための円安方向への為替介入は、日本の政府または中央銀行の判断で行うことは不当とはいえないでしょう。

 米自動車業界は為替介入反対と叫んで、自由主義経済を守るかのようなことを言っているように聞こえるのに対して、日本経団連会長は自主規制を思わせて、自由主義に反するかのような発言です。過去の日本車に対する態度を見れば、米自動車業界が自由主義的とはとてもいえないのですが、何かとても皮肉を感じます。

 米自動車業界は日本の政府の経済・金融政策手段に対する挑戦で、経団連会長は米国消費者の利益に対する挑戦です。どちらが正しいということはないのですが、製品のユーザーは政府よりも消費者です。どちらを敵に回したら怖いかは自明だと思います。もし消費者以上に業界や政府が怖いのであれば、それは自由主義市場でのプレーヤーとはいえず、そういった政府や業界を是正するよう働きかけるのが筋というものではないでしょうか。

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2005.05.04

本当に平和を求めるのなら

 5月3日は憲法記念日でした。日本国憲法のことを平和憲法という人がいますが、あの言い方にはどうもついていけません。護憲派と称する人にこの言葉を使うことが多い気がするのですが、世界中に平和を求めない憲法があるという話を聞いたことがありませんし、戦争を放棄した憲法は日本国憲法に始まったことではありません。

フランス共和国は征服を目的として戦争をせず、且ついかなる国民の自由に対してもその兵力を用いない

スペインは国家の政策の手段としての戦争を放棄する

 何も日本国憲法の平和主義だけが、世の中の理想を先取りしているわけでもありません。当たり前の話ですが、日本国憲法制定以前から、戦争を回避する手段を検討されてきたことは歴史的事実です。そして、改憲を唱える人が戦争をしたがっているという話を聞いたことはありません。

 日本国憲法は、平和憲法と呼ばれる大きなカテゴリーの一つではありますが、唯一のものではありません。平和憲法というと世界中のほとんどの国の憲法を同時に指しているのであって、日本国憲法のことを平和憲法と呼ぶのはとてもおこがましいことだと思います。

 おこがましいだけなら、まだいいのですが、護憲派のいう平和主義は他国の犠牲の上に成り立つ一国平和主義です。他国を犠牲にしないのなら、一国平和主義でもまだいいのでしょうが、他国に犠牲を強いてまで平和を叫んでも正直言って胡散臭い。

  具体的には、イラクへの自衛隊派遣のような国際貢献においては、他国を犠牲にしているといえそうです。今回、サマワの治安維持のためにオーストラリアが増派したことは、豪の自主的な判断によってなされたとはいえ、日本が豪に負担を掛けていることを無視することはできません。日本は豪にとって最大の貿易相手国ですから、豪は日本との貿易によるメリットを失わないために増派したのかもしれませんが、イラクへの増派と日豪貿易とは実質的にリンクしません。これを政治的にでもリンクさせることはフェアではありません。

 自衛隊に治安維持能力がないのならまだともかく、平和を取り戻す必要のある地域へ行って、能力の出し惜しみをして他国を危険な目にあわせています。イラクでオーストラリア人が拉致された事件が、今回の豪の増派と関係しているかどうかはわかりませんが、自衛隊がいるサマワを守ってくれる豪軍と同じオーストラリアの人が拉致されたことには心が痛みます。

 軍事的なことではなく、復興支援のような国際貢献は今後も積極的に行うことには、日本の多くの人も賛成するようですが、それなら安全に復興支援を行うためにも、自らの身は自ら守ることができるような枠組みが必要です。平和は、憲法に書いておくだけで実現する訳がありません。

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2005.05.01

羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く

 一度失敗したのに懲りて、用心することはいいのですが、しばしば用心が度を越すことがあります。太平洋戦争に負けて、戦争の放棄と軍国主義を排除したことはいいのですが、集団的自衛権という自衛権の一部まで放棄する必要はありませんでした。最近のことでは、ニッポン放送の買収問題で、株式市場のルールを明確に公正なものにする必要はあったのですが、外資を呼び込みやすくする改正商法の施行を延期する必要はなかったのではないかと思います。

 とはいえ、改革が必要なときは、いわば平時ではないわけで、何もしないよりは多少不完全でも改革して、不具合はその都度直せばいいことだと思います。ただ、諺になっているくらいですから、私たちには行き過ぎる傾向があるということは自覚してその上で改革を進めるべきなのでしょう。

 JR西日本の福知山線の事故は、できるだけ早い原因究明と、今後の防止策の策定を望みたいのですが、政府関係者や、政治家のコメントを見聞きすると、安全に関することには今より厳しい規制が必要であるというような発言がチラつくことが気になります。安全であることは何より大切ですが、規制強化というと得てして余計なことまで規制する傾向があることを自覚しなければなりません。

 経営効率を求めるあまり、安全性を軽視したのではないかという見方があるようです。ある意味正しいのかもしれませんが、この見方では効率安全をトレードオフの関係に見ている点が気になります。鉄道事業者にとって、効率(収益)と安全(事故を起こさないこと)はともに達成しなければならないもので、どちらも疎かにはできません。というより、停止位置をしっかり守ってオーバーランなどせず、時間通りに正確に電車を走らせることを徹底することが、効率的な運行につながるはずです。効率と安全を両立させるというスキームはむしろ合理的といえます。それにもかかわらず、事故が起きたということは、そのスキームの使い方が間違っていたということではないでしょうか。一つの推測ですが、停止位置を守らないこと、時間通りに運行しないことはJR西日本には「あってはならないこと」だったのではないでしょうか。

 停止位置を守らないこと、時間通りに運行しないことなどあってはならなくて当然だと思われる方が多いでしょうが、人間のやることです。あってはならないこととはいえ、事故をゼロにすることは不可能で、できることはなるべくゼロに近づけることここまでです。

 話は変りますが、日本の銀行は、今でも恐らくそうなのですが、融資が焦げ付くことなどあってはならないことというスタンスでした。預金者の命の次に大切なお金を預かって、それを原資に融資業務を行っているわけですから、この考え方は正論と誰もが考えていたのです。でも、バブル後は不良債権のヤマに悩ませられて、税金まで投入してその処理に当っています。ところが、銀行が不良債権に追われている間に業績を伸ばしていたのが、消費者金融、いわゆるサラ金です。サラ金は、貸倒を見込んで貸し出しを行っていますから、融資の焦げ付きという事故はあってはならないものではありません。人間ですから貸すほうも返せない人に貸してしまうこともありますし、借りるほうも返せないのに借りてしまうことがあります。いえることは、事故をゼロに近づければサラ金の収益は上がるということです。

 ここで、過酷な取立てで収益を上げる業者は規制する必要はありますが、事故をゼロにすれば収益が上がるスキームに国などが介入する必要はありません。鉄道事業者は正確な運行をすることで効率性と安全性を確保し、それが収益をもたらすというスキームには規制は不要です。

 例えば、過密ダイヤは良くないことですが、だからといって時間当たりの運行本数を規制することは余計な規制です。なぜなら、何らかの技術革新によって、「効率的な運行能力の向上」=「時間当たりの可能運行本数の増加」という潜在的な可能性の芽を摘んでしまうことになるからです。やるべきことは、過密ダイヤの規制ではなく、過密ダイヤによって引き起こされる運行時間の遅れを規制することです。客観的な遅れたという事実にペナルティがあり、ペナルティを課せられたくなければ遅れないようにする必要があります。そのためには、運行能力以上の過密ダイヤではペナルティを避けられず、運行能力を上げるか過密ダイヤを解消するかのどちらかを選択することになります。JR西日本のダイヤが過密であったのか、運転士の能力が劣っていたのかは当事者が一番よくわかっているはずで、逆に非当事者が介入しても非効率なだけです。

 上記はあくまで一例ですが、福知山線の事故原因の究明に伴って、改善されることは数多くでてくることと思います。そこで思い出さなければいけないことは、私たちには行き過ぎる傾向があるということです。すでに、この事故を引き合いに出して、国鉄を民営化してよかったのかという暴論もでています。民営化した結果、効率化を求めるあまり事故が起きたという考えは比較的理解しやすいのですが、そういうのなら、常に効率と安全を求めている他の私鉄はいつ事故を起こしてもおかしくないということになってしまいますがそうなのでしょうか。むしろ、JRということで考えるなら、民営化の本質の理解がまだ浅いために、「ゼロに近づけること」「あってはならないこと」と勘違いしたことが問題で、民営化がいまだ徹底してないことにこそ問題の本質があると見るほうが素直な見方といえるのではないでしょうか。

 これだけの大惨事ですから、改善することは山ほどあるはずです。変らないことは一番良くないのですが、本当にいい改革をするには行き過ぎを抑制しつつ、何をどう変えるかを合理的に冷静に見極める必要があるように思います。

 

 

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