« 悩んで事実と向き合います | Main | 本当に平和を求めるのなら »

2005.05.01

羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く

 一度失敗したのに懲りて、用心することはいいのですが、しばしば用心が度を越すことがあります。太平洋戦争に負けて、戦争の放棄と軍国主義を排除したことはいいのですが、集団的自衛権という自衛権の一部まで放棄する必要はありませんでした。最近のことでは、ニッポン放送の買収問題で、株式市場のルールを明確に公正なものにする必要はあったのですが、外資を呼び込みやすくする改正商法の施行を延期する必要はなかったのではないかと思います。

 とはいえ、改革が必要なときは、いわば平時ではないわけで、何もしないよりは多少不完全でも改革して、不具合はその都度直せばいいことだと思います。ただ、諺になっているくらいですから、私たちには行き過ぎる傾向があるということは自覚してその上で改革を進めるべきなのでしょう。

 JR西日本の福知山線の事故は、できるだけ早い原因究明と、今後の防止策の策定を望みたいのですが、政府関係者や、政治家のコメントを見聞きすると、安全に関することには今より厳しい規制が必要であるというような発言がチラつくことが気になります。安全であることは何より大切ですが、規制強化というと得てして余計なことまで規制する傾向があることを自覚しなければなりません。

 経営効率を求めるあまり、安全性を軽視したのではないかという見方があるようです。ある意味正しいのかもしれませんが、この見方では効率安全をトレードオフの関係に見ている点が気になります。鉄道事業者にとって、効率(収益)と安全(事故を起こさないこと)はともに達成しなければならないもので、どちらも疎かにはできません。というより、停止位置をしっかり守ってオーバーランなどせず、時間通りに正確に電車を走らせることを徹底することが、効率的な運行につながるはずです。効率と安全を両立させるというスキームはむしろ合理的といえます。それにもかかわらず、事故が起きたということは、そのスキームの使い方が間違っていたということではないでしょうか。一つの推測ですが、停止位置を守らないこと、時間通りに運行しないことはJR西日本には「あってはならないこと」だったのではないでしょうか。

 停止位置を守らないこと、時間通りに運行しないことなどあってはならなくて当然だと思われる方が多いでしょうが、人間のやることです。あってはならないこととはいえ、事故をゼロにすることは不可能で、できることはなるべくゼロに近づけることここまでです。

 話は変りますが、日本の銀行は、今でも恐らくそうなのですが、融資が焦げ付くことなどあってはならないことというスタンスでした。預金者の命の次に大切なお金を預かって、それを原資に融資業務を行っているわけですから、この考え方は正論と誰もが考えていたのです。でも、バブル後は不良債権のヤマに悩ませられて、税金まで投入してその処理に当っています。ところが、銀行が不良債権に追われている間に業績を伸ばしていたのが、消費者金融、いわゆるサラ金です。サラ金は、貸倒を見込んで貸し出しを行っていますから、融資の焦げ付きという事故はあってはならないものではありません。人間ですから貸すほうも返せない人に貸してしまうこともありますし、借りるほうも返せないのに借りてしまうことがあります。いえることは、事故をゼロに近づければサラ金の収益は上がるということです。

 ここで、過酷な取立てで収益を上げる業者は規制する必要はありますが、事故をゼロにすれば収益が上がるスキームに国などが介入する必要はありません。鉄道事業者は正確な運行をすることで効率性と安全性を確保し、それが収益をもたらすというスキームには規制は不要です。

 例えば、過密ダイヤは良くないことですが、だからといって時間当たりの運行本数を規制することは余計な規制です。なぜなら、何らかの技術革新によって、「効率的な運行能力の向上」=「時間当たりの可能運行本数の増加」という潜在的な可能性の芽を摘んでしまうことになるからです。やるべきことは、過密ダイヤの規制ではなく、過密ダイヤによって引き起こされる運行時間の遅れを規制することです。客観的な遅れたという事実にペナルティがあり、ペナルティを課せられたくなければ遅れないようにする必要があります。そのためには、運行能力以上の過密ダイヤではペナルティを避けられず、運行能力を上げるか過密ダイヤを解消するかのどちらかを選択することになります。JR西日本のダイヤが過密であったのか、運転士の能力が劣っていたのかは当事者が一番よくわかっているはずで、逆に非当事者が介入しても非効率なだけです。

 上記はあくまで一例ですが、福知山線の事故原因の究明に伴って、改善されることは数多くでてくることと思います。そこで思い出さなければいけないことは、私たちには行き過ぎる傾向があるということです。すでに、この事故を引き合いに出して、国鉄を民営化してよかったのかという暴論もでています。民営化した結果、効率化を求めるあまり事故が起きたという考えは比較的理解しやすいのですが、そういうのなら、常に効率と安全を求めている他の私鉄はいつ事故を起こしてもおかしくないということになってしまいますがそうなのでしょうか。むしろ、JRということで考えるなら、民営化の本質の理解がまだ浅いために、「ゼロに近づけること」「あってはならないこと」と勘違いしたことが問題で、民営化がいまだ徹底してないことにこそ問題の本質があると見るほうが素直な見方といえるのではないでしょうか。

 これだけの大惨事ですから、改善することは山ほどあるはずです。変らないことは一番良くないのですが、本当にいい改革をするには行き過ぎを抑制しつつ、何をどう変えるかを合理的に冷静に見極める必要があるように思います。

 

 

|

« 悩んで事実と向き合います | Main | 本当に平和を求めるのなら »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/64797/3928520

Listed below are links to weblogs that reference 羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く:

» 株式市場 [株式市場---辞典]
株式市場証券市場(しょうけんしじょう)とは、有価証券の発行が行われる発行市場と、それが流通する流通市場との総称。狭義には、証券取引所ないしは店頭市場をさすこともある。情報元:Wikipedia...... [Read More]

Tracked on 2005.05.13 at 20:09

« 悩んで事実と向き合います | Main | 本当に平和を求めるのなら »