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2005.05.04

本当に平和を求めるのなら

 5月3日は憲法記念日でした。日本国憲法のことを平和憲法という人がいますが、あの言い方にはどうもついていけません。護憲派と称する人にこの言葉を使うことが多い気がするのですが、世界中に平和を求めない憲法があるという話を聞いたことがありませんし、戦争を放棄した憲法は日本国憲法に始まったことではありません。

フランス共和国は征服を目的として戦争をせず、且ついかなる国民の自由に対してもその兵力を用いない

スペインは国家の政策の手段としての戦争を放棄する

 何も日本国憲法の平和主義だけが、世の中の理想を先取りしているわけでもありません。当たり前の話ですが、日本国憲法制定以前から、戦争を回避する手段を検討されてきたことは歴史的事実です。そして、改憲を唱える人が戦争をしたがっているという話を聞いたことはありません。

 日本国憲法は、平和憲法と呼ばれる大きなカテゴリーの一つではありますが、唯一のものではありません。平和憲法というと世界中のほとんどの国の憲法を同時に指しているのであって、日本国憲法のことを平和憲法と呼ぶのはとてもおこがましいことだと思います。

 おこがましいだけなら、まだいいのですが、護憲派のいう平和主義は他国の犠牲の上に成り立つ一国平和主義です。他国を犠牲にしないのなら、一国平和主義でもまだいいのでしょうが、他国に犠牲を強いてまで平和を叫んでも正直言って胡散臭い。

  具体的には、イラクへの自衛隊派遣のような国際貢献においては、他国を犠牲にしているといえそうです。今回、サマワの治安維持のためにオーストラリアが増派したことは、豪の自主的な判断によってなされたとはいえ、日本が豪に負担を掛けていることを無視することはできません。日本は豪にとって最大の貿易相手国ですから、豪は日本との貿易によるメリットを失わないために増派したのかもしれませんが、イラクへの増派と日豪貿易とは実質的にリンクしません。これを政治的にでもリンクさせることはフェアではありません。

 自衛隊に治安維持能力がないのならまだともかく、平和を取り戻す必要のある地域へ行って、能力の出し惜しみをして他国を危険な目にあわせています。イラクでオーストラリア人が拉致された事件が、今回の豪の増派と関係しているかどうかはわかりませんが、自衛隊がいるサマワを守ってくれる豪軍と同じオーストラリアの人が拉致されたことには心が痛みます。

 軍事的なことではなく、復興支援のような国際貢献は今後も積極的に行うことには、日本の多くの人も賛成するようですが、それなら安全に復興支援を行うためにも、自らの身は自ら守ることができるような枠組みが必要です。平和は、憲法に書いておくだけで実現する訳がありません。

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