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2005.07.28

皇位の継承に思うこと

 皇室典範に関する有識者会議の中間報告の要旨を読みましたが、国民の理解と支持、伝統、安定性のどれもを満たすような案は難しいのだなと感じました。男系男子に限る案と女性天皇と女系による継承を認める案の二案の取捨選択となってしまうのはやむをえないのでしょうが、私としては二案のどちらかではなく、女性天皇を認めても女系天皇は認め難いというのが率直に思うところです。
 男系男子に限るとして旧宮家から皇族復帰をという意見も非常によく理解できます。皇族を離れて60年も経つとか、今上天皇との共通の祖先は600年もさかのぼる遠い血筋だとかいう意見もあったようですが、皇室の歴史は2,000年とはいわないまでも確実に確認できるだけでも600年の倍以上の歴史があります。600年さかのぼることが適当でないなら、1,000年以上さかのぼる平安時代の皇室と現在の皇室との繋がりを否定することにもなりかねません。
 日本画家の出雲井晶氏が昨年口語訳した昭和天皇の歴史教科書として使われたという「国史」を読みますと、聖徳太子のひいおじいさんにあたる継体天皇という天皇のときに皇位が傍系に移ったことが書かれています。
天皇の御位は神代の昔から天照大神の血統と定まっていますから、何代か代が隔たっていたり、都をはなれ隠れ住んでおられてた王子が継がれることはありましても、皇位はすこしも揺らぐことなく、ますますしっかりとしたものになっていきました。ですから、世に知られていなかった王子をお迎えして、天皇の御位を継いでいただき、心を一つにして皇室の安泰をはかった多くの臣下たちの功績と、それを支えた国民の心情は、そのどちらも尊いものです。
 天皇が天照大神の血統かどうかはおいておいても、古代から世に知られない隠れた傍系の血筋に皇位が継承されてきたわけですし、それを尊ぶ気持ちがこの「国史」が書かれた大正時代まではあったことは確かです。平成の今はそんなことを尊ぶ気持ちはなくなったといわれればそれまでですが、国の象徴として天皇家の存続を願うのであれば、今でも心を一つにして皇室の安泰をはかる心情は尊いといっていいと思います。
 高崎経済大学の八木修次助教授によりますと、11の旧宮家のうち7家が今も存続していて5家に男系男子の跡継ぎがいるということです。跡取りでなくとも男系男子がいるのでしたら、この方々と女性皇族の方々とのご結婚がなされることが一番望ましいことは確かです。そうすれば、法律上女系天皇が認められても実質的には男系で繋がりますし、皇位を男系男子に限っても皇后が生まれながらの皇族でしたらこれに反対する意見の人にも納得を得やすくなると思います。
 封建時代のように当事者の意思を無視して結婚を強制するのかと怒られるかもしれませんが、もともと皇族は人権に制約があるものです。現在は一般人である旧宮家の男子の人権は最大限尊重しなければならないでしょうが、彼らと内親王様方とのご結婚を切に望みます。

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2005.07.26

民営化≠市場主義

 25日の日経1面の記事に、電力を企業が取引所を使わずに融通しあうという記事が出ていました。

余った電力を売買する取引所を使うより、新規参入企業同士の提携で調達した方が、コストが低いうえ量も安定する。新規事業者間の電源有効利用で料金の引き下げ余地が生まれ、電力会社との価格競争が加速しそうだ。

 「民でできることは民で」という小泉首相の改革を支持すると、市場万能主義を信じているかのように言われることがありますが、市場がすべてうまく調節するとは限りません。そのことを表しているのが上の記事ではないでしょうか。電力は市場である取引所を使うより、相対で提携したほうが有効利用できるということです。もともと電力は地域ごとに既存の電力会社の独占だったという特殊事情がありますが、発電設備を備えるのに莫大な費用がかかり市場参加者が少ないために、市場での取引よりも相対取引のほうが供給サイドは安定して供給できてコストも下がるということです。市場が万能ではないから民営化が必ずしも良いわけではないという短絡的な言い方をする人もいますが、市場が万能ではないから電力に参入している民間企業のように、市場を通さずにより効率的な方法でかつての独占企業に対抗しようという民間の知恵が生まれてくるということです。

 郵政民営化法案の行方はよく分かりませんが、10年もかけて民営化することにさえも抵抗している国会議員は、その見識を疑われても仕方がありません。法案の行方によっては株価も動いて、今年の8月は株式市場の動きは活発になるかもしれません。

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2005.07.24

相撲とハズレ馬券の復讐

 大相撲の名古屋場所は、横綱朝青龍の優勝に終わりましたが、千秋楽までもつれ込んで久しぶりに最後の取り組みまで見入っていました。中日(8日目)に琴欧州が朝青龍に勝った一番は、見ていてテレビに向かって声をあげてしまうほど素晴らしい取り組みでした。黒海が勝った一番は朝青龍には少々気の毒かなという気もしますが、黒海も初めての敢闘賞に輝いたわけですから、横綱を破っただけの実力は評価されたといえるのだと思います。千秋楽の琴欧州はテレビで見ていても緊張している様子で、取り組み前に土俵下で優勝を争う横綱と隣り合わせに座った時点で若の里との一番は負けていたのかもしれません。朝青龍が優勝するにしても、琴欧州との決定戦でもう一度対戦してほしかったのですが、22歳の若者にあの状況で緊張するなというほうが無理なのでしょう。

 ロンドンの地下鉄駅構内で射殺された男性が同時爆破テロに無関係だったということで、英国内では警察を批判する声も出ているということですが、ロンドン警視庁に限らず日本も含めてどこの国の警察も捜査と警備の手を緩めることのないようお願いしたいと思います。テロとは無関係の人物を殺してしまったわけですから、その真相は究明しなければなりませんが、どんなに優秀な警察官であっても間違いがゼロであることは考えられません。極論ではありますが、ロンドン警視庁は無関係の人物一人の命よりもテロで殺される数十人の命を重視したといえます。このことの是非は論じられる余地はあるのかもしれませんが、一概にテロで殺されるかもしれない数十人の命を無視した議論は危険であることは自覚しておかなければなりません。

 日曜日の夕方、風呂に入って今日着ていたものを洗濯したところ、何かの紙を一緒に洗ってしまい干すときに大変な思いをしました。細かい紙くずを取りながら何の紙だろうと考えていましたが思い浮かばず、洗濯物を干すのに1時間以上かかってしまいました。ようやくほぼ干し終わる頃に思い出しました。競馬場で馬券を買ったときにオッズプリンターでオッズを取り出して参考にしていました。そのオッズの書かれた紙を何気なくズボンのポケットに入れていたのです。あれだったかと納得してすこしホッとしたのですが、ハズレ馬券のためにこんなに大変な思いをしたのかと考えると、ホッとしたのもつかの間で何かやりきれないものを感じました。

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2005.07.15

訳が分からないこと

 ロンドンの同時テロが自爆だったと断定されたということで、ちょっと驚いています。というのは、ロンドンの中心部で爆破テロをやるのに、テロリストが命を懸けるほどのことだったかと疑問に感じるからです。ニューヨークの同時テロは、旅客機を乗っ取って貿易センタービルを崩壊させて、数人のテロリストの命で数千人の一般市民を殺すことができたわけですから、アルカイダにすれば割の合うテロだったと考えることも理解できないでもありません。イラクで毎日のように起きている自爆テロも、軍隊相手ですから一人のテロリストの命で数十人の軍人を殺すことができるのならこれも分からないでもありません。もちろん、テロを肯定するつもりは全くありません。費用対効果でテロリストのことを想像できるかどうかということです。

 ロンドンの同時テロは、当初携帯電話による時限装置があったとかいう話もありましたから、まさか自爆ではないと思いました。何の抵抗もできない一般市民を、逃げられない交通機関の中で爆弾で殺すのに自爆する必要はないだろうと考えていました。ところが自爆だったという話が本当なら、今回の事件では費用対効果でテロリストのことを想像することはきわめて難しいと感じます。東京の地下鉄サリン事件でも実行犯はサリンで死ぬことはありませんでした。ロンドンの犯人は、自分が死ぬこと自体が目的だったのではないかと疑わざるを得なくなります。世の中に訴えることがあるからテロを行うのなら、方法は間違っていてもその主張は聞くことができます。しかし、死ぬことを目的とする主張など聞いても意味がないように思います。まったく訳が分からないとしか言えません。

 訳が分からないといえば、「つくる会」の教科書に反対している人たちです。先日、栃木県大田原市で「つくる会」の教科書が採択されてニュースになっていました。これに反対する人は、どう見ても分が悪いようにしか見えません。「つくる会」の教科書は歴史的事実の記載に間違いはないことは検定を通っていることが示すように反対派も認めているようです。反対派は事実の解釈というか記載の仕方に反対しているわけですが、ある解釈に反論することはそれはそれで別に構わないことです。ただ、「つくる会」は反対派の解釈を否定はしておらず、違う解釈もあることを提示しているのにすぎないのに、反対派は反対派の解釈が正しくて「つくる会」の解釈は間違いだといわんばかりに反対しています。歴史的事実に間違いがなければ、解釈に何が間違いで何が間違いではないかなど、学問的にはありえないのではないでしょうか。せめていうなら、「つくる会」の解釈は子供に教えるのに適切でないことを説明して教科書にはふさわしくないということだと思うのですが、いろいろな報道を見ている限り「つくる会」の解釈が子供にふさわしくないことなど論理的に説明はできないようです。むしろ、従来の教科書の解釈(自虐史観)のほうが子供にふさわしくないといえるかもしれません。

 反対派は自分たちの主張を論理的に組み立てられないために、「つくる会」を頭から全て否定せざるを得なくなっているようです。そのいい例が船橋の市立図書館で「つくる会」関連の書籍を勝手に廃棄したという事件だといえます。損害賠償が認められたことはおいておいても、賠償が認められようと認められまいと特定の主張を公共の場から排除することはとんでもない暴挙です。自分の子供が使う教科書を「つくる会」の教科書にしたくないという親御さんの主張は、それ自体無視することはできませんが、どの教科書を使おうと事実は正しく記載されているわけですから、解釈は従来からの解釈と「つくる会」の解釈と両方を教えればいい。受験には関係ないかもしれないけれど、数学の解法が複数あるように、一つの歴史的事実も視点の置き方によって解釈が変わることを教えることのほうがよほどまともな授業です。そんな時間は今の学校にないといわれるかもしれませんが、そうであるなら「つくる会」の教科書に反対するよりも、違った解釈を教えることができない今の学校の状況を改めるよう主張したほうが良さそうだと思えてきます。主張する方向が違うのでは?と言いたくなります。

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2005.07.07

不良債権と金利

 銀行が経営再建中の企業の融資条件を緩和して再建を助けることはよくあることです。企業の返済を一定期間ストップして、資金繰りを楽にして本業に力を入れて立ち直れば、再び融資の返済ができます。このとき、当たり前の話ですが、返済をストップしている間は新規の融資はありえません。業況がおもわしくなくて、借りたものの返済を待ってもらっているのですから、これにさらに借金を重ねることは自分で自分の首を絞めるようなものであることは容易に理解ができます。

 返済をストップしても、元金のストップであって利息だけは払い続けることが一般的です。なぜなら、利息まで止めてしまうと利息分が元金部分に組み入れられますから、元金額が大きくなって膨れ上がっていきます。業況が回復しても途方もない借金が残っていては元も子もなくなってしまうからです。さらに、元金をストップするに当たっては融資利率を引き上げるのが筋というものです。引き上げるといっても支払う利息額が元金額ほどになっては意味がありませんから、そこまでは引き上げることはありえません。ただ企業の業況が改善しなければ将来的には返済は不可能になるわけですから、それだけ返済されない可能性の高い融資になっているといえます。すなわち不良債権です。

 不良債権は正常債権よりも高い率で貸倒引当金を積んで万が一の場合に備える必要があります。融資利率の引き上げ分は本来その高い率の貸倒引当金に充当するためのものです。

 不況の時には銀行はこのような企業支援をして、企業の立ち直りを促して景気回復につなげていくのですが、銀行事態の業況が悪いときには企業を応援できないこともでてきます。不良債権を出すと貸倒引当金を積んで銀行の利益が少なくなります。銀行自体の業況が悪化します。でも企業の業績が回復しないと銀行の回復もありえません。

 そこで、不良債権を出さずに企業の資金繰りを応援する方法が必要となります。それが融資金利の引き下げです。元金の返済はストップしませんが、利率を下げて支払利息を少なくして企業の資金繰りを応援します。元金をストップしたほうが企業は助かるのでしょうが、それができないために利息を少なくすることで企業と銀行が折り合いを付けたということになります。

 果たしてこの業況の悪化した先の金利を低くするというやり方は肯定されるのでしょうか。当然ですが、肯定されません。これは不良債権隠しです。不良債権隠しに基づいて銀行の財務諸表が作成されれば明らかに粉飾決算です。個別案件の金利は貸す方と借りる方の合意によって決まるもので、上がろうが下がろうが金融庁などの第三者が口を挟むことではありません。しかし不良債権隠しをやっているとなると話は別です。不良債権を一定以上に増やすと銀行が著しい不利益を蒙る会計ルールは、銀行の預金者や銀行の株主さらには銀行と取引をするあらゆる人々にとって必要であるから設けられたルールです。これを一企業を応援するために無視しては正常な経済活動に支障をきたす恐れがでてきます。

 金利を不当に低くして不良債権隠しをしているかどうかはどうやって見つけるのでしょうか。いまや貸出金利の平均は1.4%台と低水準です。優良企業に貸し出すために競争の結果低金利となったのか、不良債権化するのを恐れて低金利にしたのか、これは融資先の企業の業績を見て判断するしか今のところなさそうです。具体的には金融庁が検査に入って個別に調べなければ分からないということです。

 銀行の預金者や株主の立場にたつなら、自己責任を求められながら銀行の融資姿勢を判断する方法が、数年に一度程度の金融庁の検査を待つだけというのは甚だ心許ない気もします。不良債権額は公表されるようになって久しいのですが、これで十分とは到底言えないのではないでしょうか。銀行の内部で査定した格付けごとに融資先数、融資額、平均金利なども公表してもいいのではないかと思います。

 貸出金利は企業の業績だけで決まるものではなく、企業の従業員も含めた総合的な取引振りも勘案されるのでしょうが、格付けごとの貸し出し条件の推移が分かれば不良債権隠しの兆候は出てくることが期待されますし、何より銀行への牽制にもなるはずです。金利は低いだけがいいことではありません。調達した資金に4~5%の金利を支払ってもペイするだけの利益率の事業を育てることが必要なのだと思います。

 

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2005.07.01

どちらか一つだけでも

 世の中にはおかしなこともあるものだと思います。恐らくはおかしなことの原因は怠慢であることが多いような気がします。

 牛肉の輸入が急増したために、8月にも輸入制限措置、いわゆるセーフガードが発動される見込みだということです。輸入牛肉の関税が38.5%から50%に上がるということです。牛肉は、アメリカで2頭目のBSE感染牛が見つかって、アメリカからの輸入再開は再びいつになるのか見えなくなってしまったというのに。一昨年の暮れにアメリカからの輸入が止まって、昨年は例年に比べても相当に輸入量が減ったことは誰でも容易に理解できることです。その後今年になってオーストラリアなどからの輸入が多少増えたからといって、特殊事情で急減した昨年を基準にして、今年の牛肉輸入が急増したから国内畜産農家を守るために関税引き上げというのは何かおかしいと言わざるを得ません。

 一方で、北朝鮮からのアサリの輸入が再開されているようです。改正油濁法によって義務づけられた保険への加入が進んだためですが、改正油濁法の施行の頃は北朝鮮への経済制裁を求める声が多く、経済制裁代わりと考えて油濁法の厳格適用を歓迎した向きもありました。いまだに何の手も打たずに拉致問題に進展はなく、北朝鮮による核の脅威だけが増している状況です。家族会の方の抗議の座り込みを政府はどう見ていたのでしょうか。

 牛肉セーフガードによってもっとも影響を受けるのは、最近輸入が増えてきたオーストラリア産でしょう。サマワで日本の自衛隊を守っているオーストラリアの牛肉の関税を引き上げて、拉致問題を進展させないばかりか核の脅威をちらつかせる北朝鮮からのアサリの輸入が増えているというのは、何かおかしいといえると思います。状況を考慮せずにただルールを適用するだけという怠慢と、対話と圧力といいながら圧力を使おうとしない怠慢、この二つの怠慢が世の中をおかしなものにしています。

 二つの怠慢を一度に直すことが難しいのなら、とりあえずはどちらか一つでも早急に直してもらいたい。そう願わずにはいられません。

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