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2005.08.29

ITの積極活用を!

 先週の土曜日、8月27日の日経新聞朝刊の社説に「IT選挙解禁へ向け議論を深めよ」と題する文章がありました。電子メールやホームページでの選挙活動を禁じている公職選挙法への疑問が書かれています。まさにその通りだと思います。ネットの情報は玉石混交で、感心できない内容のサイトも確かに存在しますが、必要な情報を得ようとするとほとんどの人はまずネットで探す時代です。候補者自身や政党からの確かな選挙情報があってしかるべきだろうと思います。

 選挙活動に使う文書等を制限する公選法の狙いは、資金力で不公平が生じないようにすることだということですが、それならなおさらネットの活用を検討すべきでしょう。数万枚のビラを印刷するコストとHPを立ち上げるコストを考えれば、どこまで手をかけるかにもよるかもしれませんが、HPの方が安上がりでしょうし情報量も多いはずです。「年配の有権者を差別することになる」という消極的な声もあるそうですが、実は逆で立会演説会に行けないお年寄りや過疎地の人々にこそネットによる情報は有益だと思います。

 翌日の日曜日の日経新聞に、総務省が「ブロードバンド空白地域ゼロを目指す」という記事がありました。防災情報の伝達や行政手続きにも活用される重要な生活インフラのひとつであるブロードバンド通信の未整備地区を2010年までになくすために、過疎地などに特化した新たな支援策を総務省が打ち出したということです。実際に2010年までに未整備地区がなくなれば、ネットによる選挙活動をしても不公平なことはないでしょう。

 街中に比べて情報量の少ない過疎地ほど、ITの役割は大きいはずです。うまく機能すれば郵便局のネットワーク以上の働きをするのではないかと思っています。最近、e-Japanという言葉もあまり聞かなくなってしまいましたが、この計画もぜひとも推進してもらいたいと思います。

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2005.08.22

新党2党の違いは

 自民党の造反議員がつくった新党、「国民新党」「日本」は今のところ大勢に影響を与えるような存在ではないように見えます。だいたい二つの新党の違いはなんだろうと疑問にも思います。たいした影響のなさそうな新党のことを考えてみても仕方ないかもしれませんが、綿貫さんが兄弟グループと言っているのは何か違うような気がしますので、思いついた印象などをまとめておきたいと思います。

 新党はどちらも郵政民営化に反対ということでは一致していますが、多少乱暴に分ければ国民新党は「反小泉」であり、日本は「反郵政改革」なのだろうと思います。 国民新党の代表の綿貫さんは、新党立ち上げのときに郵政民営化について

「絶対反対とは言っていない。国民のためになる方向であれば取り上げてもいい」

と発言しています。いざとなれば再び自民党に合流できる余地を残しておいた発言と受け取れます。「いざ」というのは、自公の公認だけで過半数にわずかでも届かず、小泉首相が退陣して国民新党がキャスティングボードを握るということを想定しているものと考えられます。

 これに対して「日本」は郵政改革反対をライフワークのようにしている荒井広幸氏や、否決になった郵政法案をアメリカの陰謀に乗った竹中さんの売国行為だという小林興起氏などがいますから、彼らの主張を素直に聞けば首班指名のキャスティングボードを握ろうとどうであろうと、郵貯・簡保の資金を外資に開放する可能性があるのであれば、民営化はもちろん、民主党の公社縮小案にも賛成はできないだろうと考えられます。

 私は民営化には賛成ですが、アメリカの陰謀論などというのは別にして、改革を急がなくとも郵政公社の資金の使い道をじっくり考えようという郵政改革反対派の言い分もわからないでもありません。700兆円にも及ぶ国の借金をどう見るかの違いなのだと思います。GDPの500兆円と比べて、1年間国民全員が飲まず食わずで働いても返せないほど大きな借金と見るか、個人金融資産1,400兆円のまだ半分に過ぎないとみるかの違いなのだと思います。私は前者の見方をしますが、反対派は後者の見方をします。どちらも事実関係に間違いはなく、極論すれば見た事実をどう感じるかの違いとも言えるかもしれません。 

 郵政民営化に賛成ではあっても、反小泉派が危惧していることにも理解できる部分があります。郵政民営化と改革路線にYesかNOかで選んでほしいという自公の主張は、非常にわかりやすく投票に際しては望ましい選択肢だとは思う一方で、過半数を獲得して選挙直後に召集される特別国会で郵政民営化法案が参院も通って成立したら、そのあと自民党の衆議院議員にはあまり余計なことはして欲しくないというのが私の率直な願望です。民営化が是か非かで投票して、民営化法案が成立してそれに続く改革を進めるところまではいいとしても、任期が4年あることを自覚すれば憲法改正などの課題にも手を着けるかもしれません。今回は民営化賛成と言えればいいわけですから、100年単位での国のあり方など、議員個人の見識を有権者から問われることはないだろうと思います。立候補する人がみんな見識のない人だというつもりはありませんが、もともと投票するに当たっては候補者の見識などわかりませんし、今回は特にわかろうともしないだろうと思います。そんな人が国民の代表として憲法問題を議論することを想像すると違和感を感じざるを得ません。

 小泉さんは国民の支持率を重視しますから、国民の多数意見に反する政策は取らないだろうとは思います。ですから、小泉さんがヒットラー以上の独裁者というのは今の時点では言いすぎだと思います。でもYes Manばかりで周りを固めたときに、きちんと情勢が読めるのかどうか、読み誤ることはないのかどうか、そんな心配も出てきます。

 民主党など野党は争点は郵政だけではないといいますが、郵政という明確な争点があったほうが投票しやすいのも事実です。理想を言えば、今回は自公で過半数をとって民営化法案を成立させて、そうしたら改革への次の争点を明らかにしてなるべく早く再度総選挙をして欲しいと思っています。ちょうど来年の9月で小泉さんは自民党総裁の任期が切れます。任期を延長するかどうかは自民党の問題ですから外野で騒ぐことは良くないのでしょうが、総裁が替わって総理大臣が替わったら、選挙をするのに十分な理由だと思います。

 選挙にカネはかかるものです。でもこれは民主主義の費用ですから、ケチらなくていいと思います。カネのかからない選挙をすることが必要でであって、カネがかかるから選挙を控えるというのでは本末転倒です。今回の選挙では、民営化に賛意を示したいと思うのですが、あまりの大差で自公が勝つと小泉総裁任期延長論も出てくるかもしれませんし、自公が僅差で過半数を獲得してもその程度では議席は過半数でも得票率では過半数に達していないなどと参院の造反組にイチャモンをつけられて再び参院で否決となるかもしれません。

 衆院選勝利でも総裁任期延長せず、小泉首相が表明(読売新聞)

これを信じていいのなら、迷わず小泉さんに賛成票を入れたいと思っているのですが・・・・

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2005.08.17

村上氏の大証株取得不認可の問題点

 金融庁は村上世彰氏が大阪証券取引所の株式を20%超取得することを認可しない方針を示したといいます。日頃、執拗に株主の権利ばかりを主張する村上氏には疑問を感じることも多いのですが、今回はある意味、村上氏も気の毒だと思っています。

 投資して利益を求めるファンドの運営者として、儲かりそうな銘柄に好きなように投資できないことは、自分の仕事の邪魔をされているのと同じことです。村上氏のこれまでの発言内容などはともかく、ファンドマネージャーが投資を規制されることは気の毒です。そうはいっても村上氏が大阪証券取引所の経営に影響力を行使できるようになった場合、先ごろ上場廃止になったカネボウや西武鉄道のような粉飾決算をしたり嘘の情報を開示するような企業に彼が投資していた時に、上場廃止の決定にすんなり従うかどうかは疑わしいことは確かです。彼が優秀なファンドマネージャーであればあるほど疑いは拭えません。

 「疑わしいだけで認められなかったら誰も認められる人なんかいない。」とか「上場審査などの自己規制機能には影響力を行使しないという条件をつけてもらってもいい。」というようなことを村上氏は言っていたようです。上場の意味を世間に問う意味からも今回の審問をあえて公開にして行ったということですが、上場していたら何でもすべて100%フリーに取引したいと訴えても彼の言い分は理解されないのではないかと思います。

 今回の問題点は、上場株式の取引の自由度といった漠然としたことではなく、証券取引所の自己規制機能を分離せずに上場してしまったことの是非ではないかと考えます。これはつい先ごろも東京証券取引所がこれから上場するに当たって、金融庁と揉めていた問題です。自己規制機能を分離さえすれば、20%超の株式取得に金融庁の認可など必要なくなるはずですし、そうすれば村上氏は好きなだけ投資ができて喜び、取引所側も自社の株式とはいえ取引が活発になって喜ばしいことになるはずです。

 もし絶対に自己規制機能を分離しないというのなら、今回の金融庁の不認可の判断は妥当だと思います。これは取引の自由と規制の問題ではなく、取引所の公正さが保たれるかどうかの問題です。目指すべきは、公正で自由な取引を可能にすることです。いくら自由な市場でも、公正さが保たれない市場では誰も取引したくなくなります。株式の取引所などは、もっともこのことが求められるはずです。

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2005.08.15

祖父の戦争

 今年も終戦記念日が来ました。毎年夏には戦争などしてはならないという気持ちにさせられるのは、戦争の悲惨さを伝えていこうという意識が我々にあるということなのでしょう。子供の頃、小学校の3~4年生ぐらいのときに、夏休みの宿題で「身近な人で戦争を体験した人がいたら話を聞いてみよう。」といった宿題があり、話を聞く人がいなければ何か戦争体験のことを書いた本を読んで内容をまとめるとか感想文を書くとか、そんな内容だったように思います。私の小学生時代というのは昭和40年代で、私の父や母も戦中生まれですから戦争の体験者に入っていたのですが、終戦時はまだ幼く戦争のことよりも戦後の食糧事情の大変さといったことのほうがよく聞かされていました。

 この頃、毎年夏休みには新潟の祖父のところへ行き、従兄弟とカブトムシやクワガタを取って遊ぶのが楽しみでした。祖父が兵隊へ行っていたことを両親から聞いていた私は、祖父に戦争のことを聞けばあの宿題ができるという腹づもりで、その年の夏は祖父のところへ行きました。そしてある日、私は祖父に戦争の話しを聞かせてほしいと頼みました。祖父は快く了解し話し始めたのですが、その話はなんと日露戦争から話し始めたのです。

 当時横須賀に住んでいたこともあって、戦艦三笠には何度も行ったことがあり、何とか話しについてはいきましたが、新潟の祖父の家の近所の提灯行列の話になるとさすがについていくことができず、私は少々退屈そうな表情になっていたかもしれません。それを見つけた伯母が助け舟を出してくれて、「お父っさま、トモちゃんが聞きてえって言ったのはお父っさまが行きなすった戦争のことをいっているのらすけ、早くその話しば聞かせてあげなっさい。」と言ってくれました。しかし、祖父はこう言って伯母の言うことを聞き入れませんでした。 「太平洋戦争だけが戦争ではない。」

 祖父は私と同じ干支の丙午(ひのえうま)でしたから1906年の生まれです。日露戦争は1905年に終わっていますから、この戦争は体験していません。ただ、祖父の両親は体験者であり、祖父はその両親から日露戦争の話も聞いていたでしょうし、学校でも習っていたのかもしれません。少なくとも当時の日本人の中で、日露戦争のことを最も良く知っている世代だったといえるのかもしれません。

 祖父と伯母は口論となり、日露戦争から下手をしたら第一次世界大戦を経ないと太平洋戦争にたどり着かないことを私は悟って、祖父の話についていく自信が持てず戦争の話を聞くことをあきらめました。祖父は自分が行って来た戦争について、もしかしたら言いたくないような悲惨な目に遭ってきたか、あるいは祖父自身が人に言えないような悲惨なことをしてきたか、いずれにせよ本当はあまり触れて欲しくない話だったのではないかと最近まで思っていました。

 毎年夏になると、テレビなどでは戦争に関する特集番組があって、「戦争の記憶を風化させてはならない」、「戦争の悲惨さを子供の世代に伝えなければならない」といったメッセージが伝わってきます。戦争を知らない世代として、そのメッセージに対する模範解答の一つに「どんなことがあっても戦争は嫌だ、いけないことだ」という意見があります。それはそれでいいのですが、どうもそのメッセージと回答には最近、違和感が出てきました。

 「戦争の悲惨さ」といったときに、ほとんどの人は戦争とは無意識に太平洋戦争や日中戦争を念頭においているのではないでしょうか。とすると、「戦争の悲惨さ」は「敗戦の悲惨さ」と言い換えることが可能です。もちろん多くの人がそんなことは思わないのかもしれませんが、いま戦争について語られる多くが敗戦について語られていることは間違いありません。これはある意味危険なことだと思います。 「戦争は悲惨だから戦争などやるものではない」、そういっているつもりなのに、実際には敗戦は悲惨だから戦争などやるものではない」といっていて、それなら負けなければ良いじゃないか、勝つ戦争なら肯定できるという論理に簡単にすりかえられる危険があります。

 祖父が亡くなって十数年が経ちます。私が小学生だったあの夏の日、祖父が「太平洋戦争だけが戦争ではない」といったその真意は、もう確かめようはありません。戦争の記憶を風化させてはいけないといいますが、日露戦争の記憶はなくなり記録として残って歴史になりました。今年は戦後60年ですが、日露戦争終結100年でもあります。どちらも20世紀前半に行われた戦争です。靖国や教科書など歴史認識を問われる問題がわれわれ日本人に突きつけられていますが、負けた戦争だけを見ていても答えは見つからないばかりか、問題を複雑にしているだけなのかもしれません。

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2005.08.12

郵政民営化~おさらい

 今度の選挙の最大の争点となる郵政の民営化について、基本的な考え方を整理しておきたいと思います。私は郵政民営化に賛成なのですが、賛成派・反対派それぞれの言い分をしっかり聞いた上で選挙で投票したいと考えます。

 郵便貯金、簡易保険で集められた資金は、以前は年金の資金などと一緒に財政投融資として、一般の金融機関の融資では採算の取りにくいような事業に向けられていました。具体的な例としては、今話題の道路もその一つです。昔から談合を行っていたのかどうかは知りませんが、仮に行われていたとしても財政投融資自体が真に意味のあるものだったときには、そう大きな問題もなかったのだろうと思います。高度成長期の頃までは、道路をつくればその道路を通って運ばれる物資の量が増えて経済が活性化し、道路を使う国民(企業も個人も)はそれによって収益が上がって収入が増え、結果として納税額も増えました。国民も財政も潤う道路を作るときに、談合で多少割高なものを作ってもそれほど大きな問題にはならないのは、当たり前といえば当たり前です。道路のような公共財は本来税金で作るものなのでしょうが、国家予算がそう多くない時代にはなかなかそこまで資金が回りませんでした。かといって国民の税負担を多くして、その資金で道路を作っても、かえって経済は萎縮してしまいます。その点郵便貯金は最適でした。国が利息をつけて返すことを約束して資金を集め、その資金を国に必要な事業に融通して国民が豊かになって、その結果、国の財政も豊かになる。だから集めた資金に利息をつけて返すことも可能になります。

 でも今はどうでしょうか。今は道路を作っても、混雑の緩和など快適さは増すでしょうが、それによって物資の量が増えて経済が活発になるということはなくなりました。既に必要な道路はほぼあります。快適さを増すための道路はこれからも作っていく必要はありますが、他から資金を融通してもらって作っても、それで経済的に発展して税収が増えるというわけではありません。郵便貯金や簡易保険の資金を融通しても、利息をつけて返すという約束を守ることが難しくなります。道路に限らず、港や飛行場もそうです。鉄道や電信電話は、昔は財政投融資で整備されてきたものですが、今や国に頼らずに民間の事業者としてやっています。必要性が低下したのに資金はありますから、結局無駄な使い方をしてしまったわけです。これは何とかしなければならないといって、財政投融資のような資金の流れを変えました。その結果、郵便局は郵政公社という形態になりましたが、利息をつけて返すと約束した資金は変らずありますから、これを何とか運用しなければなりません。といって郵政公社の人もいい運用方法を知りませんし、ノウハウもありません。返さなければならない資金ですからリスクの高い運用もできません。結局、国債などで運用するようになります。

 バブルの崩壊後の景気低迷を何とかしようと、90年代に政府はかなりの財政出動を行って景気テコ入れを図りました。残念ながら、そのほとんどは効果があったかどうかは疑わしい、というのは今だからこそいえることですが、国がカネを使ってテコ入れをしていなかったら、景気の谷はもっと深いものになっていたかもしれません。いずれにせよ国は借金を増やしてしまいました。借金をするに当たって郵政公社の資金は役立ちました。国の借金のすべてが郵政公社の資金ではありませんが、重要な国債の引き受け先であることは確かです。

 郵政民営化よりも緊急にやることはあるとして、野党やマスコミは財政の健全化や社会保険制度のことをいいますが、財政健全化の一つの重要な要素として郵政公社が引き受けている国債をどうするかというポイントがあり、財政の健全化の道筋をつけずに年金など将来の社会保険のあり方を議論しても、財政的裏付けのない空論に過ぎません。確かに郵政の問題だけクリアすれば、それで万事OKというわけではありませんが、郵政問題の決着を早くつけなければそのほかの重要な問題に手がつきません。

 国債の発行残高を減らして、国の借金を減らさなければならないことには誰も異論はありません。そのための方法として、郵政公社が国債の引き受けを減らすことには郵政民営化の賛成派も反対派も同意しています。問題はその減らし方です。急激に減らせば国債の価格は暴落して金利が急上昇します。そして経済に混乱が起きることを賛成派・反対派ともに懸念しています。金利が上昇して困るのは借金を抱えている人です。支払わなければならない利息が増えますから大変です。日本国内で一番大きな借金を抱えているのは、恐らくは政府です。中央と地方を合わせると、政府の借金は1,000兆円にも上るといわれています。国が潰れてしまっては年金も何もあったものではありません。ですから、急激な金利上昇を伴うやり方はマズイのです。

 そこで民営化反対論者は言います。「民営化したら国債の引き受けをしないという選択肢を民営化した郵便貯金会社や簡易保険会社に与えることになる。国債暴落の危険がある。」
 しかしそんなことになるのでしょうか。民営化したとたん一切の国債の引き受けを止めてしまえば暴落はするでしょうが、私はそんなことにはならないと考えます。民営化しても郵便貯金会社や簡易保険会社は、以前に購入した国債を資産として持っています。もし国債が暴落したら、資産として持っている国債の価値が下がって大きな損失を蒙ることになります。民営化によって国債よりも有利な投資先を探して、その分国債の引き受けを減らしてそれだけ国債の価格も下落するのでしょうが、下落によって民営化した会社が蒙る損失は新たな有利な投資条件の範囲内に収まるはずです。そうでなければ会社が潰れてしまいます。国債よりかなり有利な投資先が数多くあるなら話は別ですが、リスクとリターンを考え、いずれは確実に利息をつけて返さなければならない資金であることを考えますと、そんな条件の投資先は残念ながらそう多くはないのではないでしょうか。ですから、国債の下落は急激なものになる可能性は極めて小さいはずです。さらに、それでも市場では何があるかわかりませんから、民営化後10年は政府の関与を残すとしています。関与を残す10年間が長すぎるのかどうかはいろいろ議論はあるでしょうが、少なくともこの間に国債の暴落はないものと考えられますし、10年間のうちに国債暴落の懸念を減らすように財政の健全化を図っていかなければなりません。

 民主党の岡田さんは、反対の多い民営化をやらなくても、郵政公社のままでも国債引き受けを減らす方法はあるといっています。どういうことかというと、郵政公社の資金量自体を減らせばいいといいます。郵便貯金の預入限度額は現在1,000万円までですが、この限度額を700万円とか500万円へと下げていけば公社の資金は減っていきます。国債を引き受ける資金が減り、その分民間金融機関や株式市場などに資金はシフトするから民営化しなくても改革はできるといいます。

 民営化した直後の郵便貯金会社や簡易保険会社は、既存の民間の銀行や保険会社に比べてあまりにも規模が大きく、民業圧迫の懸念があることを考慮すれば、民営化せずに郵政公社の資金量を減らすという岡田さんのプランは検討には値するとは思います。でも私はこのプランには2つの疑問があります。

 まず1つ目ですが、預入限度額をいつ、いくらに引き下げるのか、きちんと決められるのか、ということです。このプランは預入限度額を操作することで公社の資金量を調節して、国債の引き受け額を郵政公社が決めることになります。決める人は公務員、役人です。国債の引き受け額は、暴落しないことを前提としながらも、経済の実態に合ったものにならなくてはなりません。一方で国債発行残高が減って、予算が足りなくなって大変な思いをするのは財務省の役人です。部署が違うとはいえ、役人が役人の嫌がる政策を遂行しなければならないという構図です。果たしてどこまで徹底できるのでしょうか。かといって郵政公社の役人が意地になって、国債が暴落しては元も子もありません。いずれにせよ生身の人間が決めることです。どんなに優秀な官僚でも間違わない保証はありません。

 この点、民営化なら需要と供給という市場原理に任せることで、経済状況に応じた判断が、誰かの意思を排除してなされるわけですし、何より財務省の役人との馴れ合いの懸念もありません。10年間の政府の関与によって、市場の暴走を防ぐセーフティネットも準備されています。

 2つ目の疑問は、雇用をどうするのかということです。預入限度額を引き下げて、公社の資金量が減れば、公社の人員に余剰が生じるはずです。余った人はどうするのでしょうか。余った無駄な役人の首を切るのに、なんら躊躇をする必要はないという考え方もできますが、余剰となってしまった人にも生活はあります。民営化担当大臣の竹中さんは、預入限度額を減らさなくても郵政の資金は今後減少すると見ています。当然人員の余剰は出ますが、民営化によってコンビニなどの新規事業を行うことができれば、ある程度の余剰人員は吸収できるといいます。民営化した後であれば政府が雇用のことまで関与する必要はないともいえますが、新規事業をやる機会を与えることで失業する人を減らす可能性を提供しています。それこそ失業保険などの社会保険の負担が少なく済むのはどちらなのかは明らかです。

 民主党の支持母体には郵政公社の組合もあるそうですが、真に組合員の雇用を考えるなら組合はどちらを支持すべきかおのずと見えてきそうなものです。さすがにいきなり自民党の法案支持を言えないのかもしれませんが、そこらへんが組合の幹部の人たちの限界なのかもしれません。

 郵政民営化にYesかNoかという論点だけで選挙を行うことは、他の政治課題が見えなくなって危険ではないかという意見もあります。確かにそれは正論ではありますが、この問題に早くケリをつけなければ財政再建の道筋が見えてこなくて、年金などの重要課題を展望することも難しくなります。少なくとも郵政の問題は、今の日本のあらゆる内政問題に係わる事柄です。争点のわかりやすい選挙であるメリットも大きいはずです。このような認識のもとで、賛成派・反対派それぞれの政治家の話を聞いていきたいと思います。

 

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2005.08.10

ハッキリした選挙に

 今度の選挙はこれまでの数年間の国政選挙の中でも割と投票率の高い選挙になるのではないかと期待しています。小泉さんが全選挙区に自公の候補者を立てるという話を、これまでの「常識」からはとても無理だろうと見る向きもありますが、解散などしないだろうという大方の見方を裏切って解散した変人なら、候補者とキッチリそろえることもやりかねないと思いますし、そうであることを期待したいものです。

 全選挙区に自公の候補者が立てば、全有権者は自民党執行部のいう郵政民営化に賛成か反対かの「国民投票」ができることになります。民主党をはじめとする野党と造反組は争点は郵政だけではないと訴えるでしょうが、郵政に賛成か反対かに絞ったほうが多くの有権者にはわかりやすい。

 まるで、アメリカの大統領選挙のような感じがあります。小選挙区制での衆院選挙ですから、実質的に首相を選ぶ選挙であることに違いありません。選ばれる議員はある意味、米大統領選挙で選ばれる大統領選挙人のように首相選挙人でもあるわけです。小泉純一郎か岡田克也かを選ぶ選挙人です。その意味で実際には衆院議員の候補者が大物である必要は全くない。

 「私は当選したら小泉純一郎を首相にするよう議会で投票し、郵政法案に賛成します。」こう言えれば議員の役割を果たせるわけですから、この程度のことをできる人物なら全選挙区に候補者を立てることも可能なのではないかと思います。そんな程度の人間を国会に送って良いのかという考えもあるでしょうが、通常の選挙でどれだけ候補者のことをわかって投票する有権者がいるのかといえば、甚だ怪しいといわざるを得ないのではないでしょうか。恐らくは、候補者の後援会などに属する完全な支持者といえる人以外は、候補者の人となりなどよくわからず、経歴書に書かれていることやたまたま聞いたときの演説の印象などで投票しているのではないでしょうか。よくてテレビの討論番組に出ていてその主張に賛同してといったところでしょう。

 これから郵政法案を討論して作り上げるのであれば、それだけの見識のある人物を選ぶ必要がありますが、ほぼ出来上がっている法案に賛成か反対かを表明するだけなら見識の有無はほれほど重要ではありません。その代わり、郵政法案が成立したら再度解散して次の政策を決める議員を選ばなくてはなりません。

 国会議員を選ぶのに見識があろうがなかろうが構わない人を選ぶことに違和感をもつ人もいるでしょうし、政策ごとに選挙することは無駄だという人もいることでしょう。そういう人は小泉流の自公に投票しなければいいことです。

 選挙が終わると密室でゴチャゴチャやって政策を決めていたこれまでやり方を批判するなら、今度の小泉流の意思決定方式は無駄は多いかもしれませんが非常に透明です。何より解りやすい。一番最悪なのは、自公も民主もそれぞれ過半数に届かず、造反組など少数者がキャスティングボードを握ってしまうことなのですが、郵政民営化に賛成か反対か、首相は小泉か岡田か、という単純な選択基準でより多くの人が投票すれば自ずとどちらかに収斂してくるのではないかと期待したいと思います。

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2005.08.08

衆議院解散

 まさかまさかと思いながら、郵政法案は参議院で否決、衆議院が解散されてしまいました。ちょうど、昨夜飲みすぎて寝ていたので、昼過ぎからなんとなくぼんやりとテレビを見ていました。参議院の法案否決を理由に衆議院を解散すること、解散に反対する閣僚を罷免してまで解散するという異例づくめではありますが、民意を問うことはいいことなんだろうと思います。

 この時期に選挙で政治空白をつくることはどうかというマスコミの意見もありますが、郵政以外にもっとやることがあるというのが本当の民意なら、この選挙でそれを示せばいい。もともと民主主義は非効率なものなんだし、民意を問うのに税金の無駄遣いというのは議論がおかしい。もし選挙にカネがかかりすぎるというのなら、カネのかからない選挙制度が必要なのであって、カネがかかるから民意を問うのを控えるということはまさしく民主主義の否定です。

 参議院での郵政法案の否決から衆議院の解散までの今日の経緯を見れば、今度の選挙の争点は「郵政民営化」だという小泉首相の言い分はもっともです。参議院での否決が本当に民意を反映しているのかどうか、私もどうも疑わしいと感じます。小泉さんが郵政民営化を叫んで行った今までの国政選挙はなんだったのかということになります。当然民営化に反対する意見もあるのでしょうが、どちらが民意なのかはっきりさせるいい機会です。与党は民営化賛成、造反と野党は民営化反対でどちらが過半数の議席を取るかで政策が決まっていく。あまりゴタゴタいわずに論点をスッキリさせれば、投票率も上がって良いのではないでしょうか。

 政局の混乱で、外国人投資家の資金が日本の市場から離れていくと心配する意見もあります。そうなるのかもしれません。でも、選挙で今までの改革路線が継続することが確実になれば外資の日本離れは起こらないはずです。与党の中で改革路線に反対するというネジレがなくなれば改革はもっと速やかに行われて、むしろ日本への投資は増えることも考えられます。改革路線を継続して外資の日本離れを起こさせないようにできるかどうか、これも民意が決められるということです。改革の是非を民意が決める選挙なら、喜んで投票したいと思います。

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2005.08.04

多数決の限界

 中国海洋石油(CNOOC)が米石油大手ユノカルの買収を断念したという日経の記事を見て、正直ホッとしました。経済活動に議会が反対して抑制するということ自体は好ましいとは思いませんが、国をバックにした中国企業が中国の国策に基づいての買収は、傍から見ていても到底公正さを欠いたものと思います。ただ、6月にCNOOCがユノカルの買収を提案してきたときに、先に買収を提案していたシェブロンよりも高い金額だったことから、どうなることかとハラハラしていました。

 ニッポン放送の騒動のときによく言われていた「レブロン基準」によれば、

「経営者は会社をいったん売りに出すと決めたら、高い値段の相手に売る義務がある」

ということですから、ユノカルもシェブロンに売却を決めていたところで、CNOOCからそれより高い金額提示があったわけですからレブロン基準ではCNOOCに売却しなければならないことになってしまうところですが、米議会の賢明な判断でそれは回避できたということでしょう。

 そもそも85年のレブロン訴訟では、レブロンという会社の経営陣が敵対的買収を回避するために友好的な相手に安く会社を売却することを決めてしまって、それをさせないための裁判所の判断ですから、これを基準としてあらゆる場合に適用させようとすること自体無理があるように思います。株主の利益を考えれば買収価格は高いほうがいいということでしょうが、買収価格が高くなって利益を得るのはその価格で売却した株主であって、買収者が経営権を手にした時点の株主ではありません。買収者が経営権を握ることが確実なら、買収者の経営方針に反対する株主ほどトットと持株を売却して利益を手にしたいと考えるでしょうが、その結果株式の過半数を握った経営者が株主の支持を得たといえるのか非常に疑問に思います。

 株式会社の仕組み上、株式による多数決を無視するわけにはいきません。しかし、多数決が必ずしもいい結果を生み出すわけではないことがわかっているからこそ、経営権にかかるような株式取得は公開買付によって株主以外のステークホルダーにも状況をオープンにしようとしているのではないでしょうか。一企業の経営権の問題でも、一国のエネルギー政策に係わる影響があるのであれば、多数決の原則を曲げることも必要なのだと思います。これを濫用することはもちろん危険ではありますが、多数決の濫用も同様に危険であることを見逃してはいけないと思います。

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