« 目的税への疑問 | Main | 皇室典範有識者会議への疑問 »

2005.10.26

割れる判断とフェアプレイの精神

 ハンセン病補償訴訟で、同じ日に同じ法廷で正反対の判決が出ていましたが、微妙な法解釈は人によって判断は分かれるということを示しているのだろうと思います。裁判所で判断が分かれるというと、靖国訴訟での違憲判断のことを思い出します。こちらは東京と大阪で一日違いで、どちらも原告の請求は退けている点は同じでも、東京高裁は憲法判断に踏み込まない一方、大阪高裁は違憲という判断をしていました。

 判決が裁判官によって分かれるというのは、原告・被告の主張はどちらももっともだからこそ判断も割れるのでしょう。でもハンセン病訴訟と靖国訴訟とは、両方の訴訟を一緒にそういった判断が難しい訴訟という分類に入れるには無理があるように思います。

 ハンセン病訴訟では、時間はかかってしまうかもしれませんが、韓国の原告は控訴して争うでしょうし、もしかしたら台湾のほうも国が控訴して高裁で争い、そこで決着がつかなければ最終的には最高裁で判断が下されます。

 靖国訴訟の場合はどうでしょうか。こちらはすでに高裁まで来ていて、まだ最高裁での判断が残されているはずでしたが、判決自体は国が勝訴しているから国から上告はできないということでした。つまり、大阪高裁の裁判官の判断に納得できなくても、不服を申し立てられないということです。

 日本の裁判制度は三審制で、下級審の内容に不満があれば不服を申し立てられるというルールになっています。ハンセン病訴訟では、原告である患者側と被告である国側はどちらもまだ争うことは可能です。韓国の患者さんたちは判決に納得していないでしょうし、台湾の患者さんと争った国側も、もしかしたら不満かもしれません。それでも、不満ならまだ争うことは可能であるという決められたルールが適用されますから、地裁の判決は尊重される価値があるものといえます。

 靖国訴訟の大阪高裁の裁判官の意見は、これに納得できなくてもこれ以上争うことはできません。三審制のルールが適用されないところで示された判断は、当事者が受け入れなくても何ら非合理とはいえないでしょう。裁判官が判決とは違ったところで意見を言って、これに逆らえない状況に陥れてしまうというやり方の是非はいろいろ議論もあるでしょうが、私は裁判官が積極的に意見を言うことには反対ではありません。裁判の中味を充実させる意見であれば、無味乾燥な法解釈用語を並べ立てるよりはよほど望ましいと考えています。

 ただ、裁判官の意見にどれだけ拘束力があるのかというと、意見を言わせれば言わせるほど限定的にしなくてはならないだろうと思います。ましてや、我国の基本的な民主主義のルールである三審制が適用されないところでは、何ら拘束力を持たないとしなくては民主主義の否定につながります。

 その意味で、「靖国参拝の違憲判断を重く受け止めよ。」などという主張を目にすると、こんなことをいっている人は民主主義を否定している人なのだなと考えざるを得ません。民主主義の否定は大げさかもしれませんが、少なくともフェアプレイの精神に欠けることは間違いないと思っています。

|

« 目的税への疑問 | Main | 皇室典範有識者会議への疑問 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/64797/6640767

Listed below are links to weblogs that reference 割れる判断とフェアプレイの精神:

« 目的税への疑問 | Main | 皇室典範有識者会議への疑問 »