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2006.05.23

どこか似ているような

 0605231                            午前中は今にも降り出しそうな、どんよりした空模様でしたが、河原のグラウンドの芝には乾燥した晴天よりは良かったのかもしれません。平日の、曇天のグラウンドは静かに落ち着いています。

新茶を入れて河原で飲んでいると、これが何ともいえずいい気分になれます。本当は仕事に関わる原稿を書こうと、気分転換を兼ねて出てきたにもかかわらず、原稿よりも気分転換が重要だという気になってしまいます。

気分転換で読んでいた新聞記事に、どこか身に覚えのあるようなことがでていました。社会保険庁で保険料の納付率を上げるために、申請がないにもかかわらず勝手に保険料を免除したり納付猶予にしたりしていたということです。(保険料、無断で免除や猶予・大阪と長崎の社保事務局

何が身に覚えがあるかと言うと、納付率向上のために分母を削ってノルマを達成しようとしていた社会保険庁の体質についてです。記者会見などでは将来の無年金者を減らすためと言っているようですが、多分未納率の多さに批判があるために、何とか納付率を向上させるためという理由もあったのだろうと思います。元銀行員としては、もう10年近くも前のことになりますが、自分のところの自己資本比率を上げるために分母である資産を削るということを思い出します。いわゆる「貸し渋り」です。

「貸し剥がし」などとも言われましたが、私自身は貸し渋りは仕事としてやりましたけれども、「貸し剥がし」には加担しなかったつもりです。でも、そのために別の担当者の取引先は、その分も含めた貸し剥がしをされたはずですから、自分だけ批判を逃れることはできません。

それでも、納付率の向上は明らかにルール違反で、貸し渋りは批判はされても何かに違反したことにはなっていません。ようやく少しずつ返済されている公的資金が、もし返せないのであれば税金の無駄遣いという点でも社会保険庁と何ら変わらなくなってしまいますが、とりあえず返す方向にあるようですから、ちゃんと返済されることを願いたいと思います。

社会保険庁の体質は、今回の問題にもあるように、税金の無駄遣いにつながるような、いわば自分で自分の首を絞めながら、のうのうと税金から給料をもらっていることに自覚の無さを見て取れるのですが、本当の問題点はそこだけじゃないのだろうと思います。年金制度への信頼が現状よりも少しでも高まれば、恐らくは今回社保庁の職員が申請もなしに勝手に免除した人たちが、自発的に申請して来るのだろうと思います。保険料の負担のある人よりも、負担のない人のほうから制度にきちんと加入することは十分ありうる話です。このとき問題は、未加入なら保険として将来の年金の負担はないのに、保険料を払わないことは変わらないにもかかわらず、制度に加入をして免除申請をすれば将来の年金負担が生じてしまうということです。これは制度的には当然のことで、自発的に申請したかしないかによって区別しているに過ぎないのですが、実は下手に申請されて保険料を負担せずに将来年金をもらう人が増えることへの懸念があることは確かだろうと思います。

もし年金の財源が豊かであったなら、納付率の向上などは言われなかったかもしれませんが、申請が無くても保険料を免除した社保庁の行為はそんなに責められることではなかっただろうと思います。もしかしたら、親切でいいことだとさえ言われたかもしれません。一番の問題は、真っ当に免除を申請されたら将来ますます年金制度の存続が危うくなるかもしれないことの方で、社保庁を批判するだけではその根本的な解決策にはならないということです。

もちろんだからと言って、今回の件が責められなくていいという訳ではありません。仮に社保庁が改善されても、それだけでは全然問題は解決されないことを考えると、今日の天気のような気分になってしまいます。

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