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2006.11.06

「見る」文化と「する」文化

 日経新聞の毎週月曜日に掲載されているコラムに、「領空侵犯」というインタビュー記事があります。いろいろな識者が自分の専門分野外のことについて話しているので「領空侵犯」なのでしょうが、いつも面白いと思って読んでいます。先週の10/30は東大経済学部の神野教授が「見る」文化と「する」文化ということで、日本とスウェーデンのスポーツの楽しみ方の違いについての所感を述べられています。061030_    
                            記事のコピーです→   

(スウェーデンで)スポーツを楽しむと言えば自分たちですることです。見るスポーツは皆無に近く、プロ選手は北米や欧州諸国で活躍します。五輪メダル数で冬季は別格に多いし、夏季も人口比で日本を上回るのは、すそ野の広さと関係していると思います

私も子供の頃はよく野球をして遊んでいました。巨人のV9の頃で、王や長嶋の活躍に憧れて彼らをテレビで熱心に「見る」ことをしながら、遊ぶときも野球を「する」ことで楽しんでいました。神野氏は「見る」文化よりも「する」文化のほうが主体性があり、その差は政治の分野で顕著に出てくると言っています。

日本人は観客として政治に接しがちなのに対して、スウェーデンは二十歳前後の若者たちも地方議員になっています。・・・・・日本ではあてがいぶちの受け身の消費態度が観客民主主義の政治にも反映しているのではないでしょうか

私は、「見る」と「する」とでどちらがいいか悪いかということではなくて、バランスをとることが大切なのだろうと思います。神野氏もバランスを考慮すると、日本ではもう少し「する」ことを重視した方がいいのではないかという主旨なのだろうと思います。

このことは確かに思い当たる節があります。野球は遊びながらでも幼い頃夢中でやりましたので、いまプロ野球を見ても楽しめますし、プロでなくとも高校野球も楽しいと思いますし、近所のグラウンドで素人がやっている野球も、たまに眺めたりしています。どんなレベルでもそのレベルなりに「見る」ことができます。これはきっと野球を「する」楽しみを知っていることが大きいと思います。

高校生の頃はラグビーをやっていました。ラグビーをやったのは高校の3年間だけですが、それでも3年間はかなりまじめにやりました。惜しむらくは全国大会の花園出場は1つ下の後輩に託さざるを得ませんでしたが、3年間でも徹底的にやったおかげで国の代表同士で戦うテストマッチも、社会人、大学、高校とどのレベルでも楽しんで「見る」ことができます。

これに対して、私にとって歯がゆいのはサッカーです。世間ではJリーグもワールドカップもかなり盛り上がっていましたが、私にとっては野球やラグビーを「見る」ときほどの楽しさは感じられません。やはり体感的に分かっているスポーツですと、目の前の選手の行動を自分なりにでも理解できるために、かなりゲームに入り込めますが、体感的に分かっていないスポーツですとそこまではいきません。サポーターという人たちがサッカーを観戦することに対して、ある意味異常とも言える熱狂や興奮を示すのを眼にすると、羨ましいと思うと同時に自分はそこまで楽しめないことを感じます。

やはり「する」経験のあるスポーツと、「見る」だけのスポーツでは違います。でも私にとっては、プロレスやボクシング、さらに相撲もそうなのですが、格闘技系は本格的な経験はなくとも、「見る」だけでもかなり楽しめます。また好みの問題ですが、男子のバレーボールはあまり見ようという気は起きないのですが、女子バレーはわりと見ます。私の好みは置いといて、今年のトリノ五輪のカーリングでは、多くの人が「する」経験はなくとも「見る」ことを楽しめたのではないでしょうか。

「する」経験が「見る」楽しさを変えることは確かですが、「する」経験がないから「見る」ことが楽しめないというのでは、非常にもったいないことです。やはりバランスをとることが必要です。誰もすべてのスポーツを「する」ことはできませんから、「する」経験がなくとも「見る」ことを楽しめる術が必要です。いろいろなスポーツを「する」ことで間口を広げ、「見る」技術を身につけることで楽しみを増すことができます。

政治の分野では「する」ことが不足しているようですが、経済ではどうでしょうか。モノを作ったり、モノを売ったり買ったりすることを「する」とすれば、どういった事業者がいいモノを作り、いいモノを売買しているか見極めることが「見る」ことと言えます。これは投資家の「眼」です。日本人の運用は、欧米に比べて投資商品の割合がまだ低いといいます。「見る」文化と「する」文化を経済にあてはめてみると、まだ「見る」ほうが足りないともいえます。

やはり「見る」と「する」のバランスをとって、ケースバイケースで自分に足りないほうを補っていくことが望ましいということなのでしょう。そのためには、「見る」と「する」の間に「考える」ことで、ケースバイケースの判断をする必要がありそうです。


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