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2007.05.30

たまには教育について

 教育に関することといえば、教育再生会議の迷走ぶりが思い出されますが、規制改革会議というところでも、大学への補助金について提言を出しています。

政府の規制改革会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)が大学向け補助金を学生数に応じて配分するよう求める提言を近く打ち出す
多くの学生を引き付ける魅力ある大学への重点配分が必要

 大学の質向上の努力を促すためということで、学生数というモノサシは一見わかりやすそうではあります。でも、そもそもより多くの学生を集める大学の質はいいものなのでしょうか。学生は質のいい大学を見極めて入学しているのなら、この提言も納得できますが、学生、しかも高校を卒業したばかりの10代の若者が的確に判断しているという保障は、まずないといっていいでしょう。

 実際に5月11日に出された提言によりますと、もう少し丁寧な説明があります。補助金の目的を教育と研究に峻別して、教育目的の補助金については、多様な民間機関の評価をもとに集まった学生数で配分することが望ましいということです。さすがに学生が専門的な研究成果を判断しているとは思えませんから、教育に関する補助金に限って、さらに様々な民間の評価をもとに学生に判断してもらうということです。

 大学の教育に関する補助金とはいえ、学生の人数で差をつけるという考え方は、「教育バウチャー制度」を思い出します。この制度案を初めて聞いたとき、面白そうだなと思ったのですが、規制改革会議のこの提言を知るまで、バウチャー制度に賛成か反対か自分の考えを決めかねていました。でも今は反対に固まってきました。

 学校教育にも競争は必要だと思います。そして教育バウチャー制度は学生数による補助金と同様に、多くの生徒を集めた学校が多くの収入を得られるというルールです。中学や高校なら、その学校の質がいいかどうか、親がある程度見極めることは可能だろうと思います。でも、これは私の個人的な見方ではありますが、自分で受けたい(受けたかった)教育は学校のレベルも教員の質もいいことに越したことはありませんが、さらに少人数制で生徒一人当たりの内容の濃い教育がいいと思っています。これは大学でも同様で、マンモス大学よりはこじんまりとしたアットホームな大学のほうが、少なくとも私の好みではありますし、仮に全体の学生数が多くても専門科目については、少人数のゼミが充実しているほうがいいと思います。

 この辺は難しいところで、まったく人気のない大学や学校でも、実はいい教育が行われているというようなところを見つけられればいいのですが、なかなかそうもできず、やはり安かろう(人気が低かろう)悪かろうというところが目についてしまうのも事実です。そうすると人気はあるけれど質を落とさないがゆえに、少人数を貫いているところがいいということになります。結局一部の偏差値の高い難関校の中から探すのがいいということになってしまいます。中学・高校、大学も含めて、今の難関校が本当に質がいいのかどうか、規制改革会議の提言にもあるように、多様な評価を参考にすることは必要です。しかしそれで集まった生徒や学生の人数で評価しては、むしろ質を落とす制度設計になりはしないかどうか、それが心配です。

大量生産型の教育も否定はしませんが、私は自分の子供がいれば(実際にはいませんが)、かけられる費用の問題もありますが、できる限り個性という素材の良さを生かした、手作りの高級品を作るような、そんな教育を受けさせたいと思います。

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2007.05.22

ふるさと納税制度

 以前賛成の方向で取り上げたことがあったのですが(5/10ふるさとへの想いを)、いろいろ反対意見もあるようです。どんなことでも、新しいことするに当たって、できない理由を上げればきりがないのですが、反対論の中で筋が通っていると思えるのが、「受益者負担の原則に反する」というものです。住民や企業が、自治体から行政サービスを受ける対価として税金を負担することが、受益者負担の原則ですから、現に行政サービスを受けるわけではないふるさとの自治体に税金を納めることは、この原則に反するということです。

 しかし、これには地方の側からの再度の反論があり、地方で生まれ育った人材が、納税する年齢になると都市部に移り住むという現状を指摘しています。何をもって公平な負担と看做すかということですが、なかなか難しいところです。ただ、私はふるさと納税に賛成ですが、地方で生まれ育った人材が納税する年齢になると都市部に移ってしまうという意見はちょっと無理があるだろうと思います。なぜなら、生まれ育てられているときには、親が地方税を負担しているはずです。親は子供を育てるのに必要な行政サービスの対価として税金を払っているはずですから、育った子供が成人してからまだ払えというのは二重に請求するような気がします。

 ですから、受益者負担の原則に反すると言われると、それはそれで筋が通っているなと思うのですが、私なりの反論もあります。それは、地方交付税交付金の存在です。国が自治体に代わって集めた税金を、格差調整のために配分しているわけですが、受益者負担をキッチリ守ろうとするなら、これほど不透明な存在はありません。税収が不足する自治体に交付される資金は、受益者負担の原則に照らしてどうなのでしょうか。かといって税収の足りない地域を放って置くわけにも行きません。そしてこの制度によって、地方の中央への依存体質が助長されるという弊害はすでに周知のこととなっています。これを何とかしなくてはならないということで、三位一体の改革が進められたことを思い出します。

 受益者負担とはいっても、最終的には国が調整するという作業は必要だと思います。これはふるさと納税制度ができてもそうだと思います。それでも、国の関与を減らす努力はあっていいと思います。そのひとつがふるさと納税制度だと私は考えます。ふるさとなどといいますが、特にふるさとがないとか生まれ故郷に払いたくないという人は、今住んでいるところに払えばいいと思います。といっても支払う住民税の1割ですが。そしてまったく関係のないところでも、例えば、夕張が大変そうだから助けたいということで夕張に納めることがあってもいいでしょうし、米軍基地を負担してくれている沖縄にわずかでも納税したいということでもいいと思います。実はあまり「ふるさと」にこだわる必要はないと思っています。

 ふるさとにこだわりすぎると、外国から来て日本で働いている人は、税金の一部を出身の国へ納めることを認めろということになりかねません。これも一種のODAと思えなくもないかもしれませんが、私は在日韓国・朝鮮の人たちからそうした要求が出てくることを危惧します。現在、税金を払うような在日の人たちは、年齢的に日本で生まれ育っているはずです。ですから、ふるさと納税の主旨のふるさとに、韓国や北朝鮮が入るはずはありません。しかし、朝鮮総連は各地で納税免除がなされなくなっていますから、どんな屁理屈を言ってくるかわかりません。あくまで日本国内の税制であることは確認しておく必要があります。

 ふるさと納税があっても、地方交付税交付金は必要でしょう。でも今よりは少なくすることは可能かもしれません。少しでも地方の中央への依存体質を改められることならば、それならやってみる価値はあるはずです。納税手続きが煩雑になることは確かですが、技術及びコストの面から不可能ではないなら、具体的に議論されていいと思います。

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2007.05.14

もっと利用されてもいいのではないでしょうか

 先日、公的年金支給停止制度を利用して、自主的に厚生年金などの受け取りの辞退を届け出た人が、4月だけで18人いたという報道がありました。(年金辞退、現在18人 YOMIURI ONLINE) この4月からできた制度といいますが、これは有効に使われるべき制度ではないかと思います。いまは現役世代4人で1人の高齢者を支えていますが、将来的には2人で1人を支えなくてはならなくなると言われています。その一方で、年金保険料の未納率は、約4割と以前に報道されたこともあって深刻な状態です。

 未納を減らして納付率を上げることは大切ですが、不正免除などといった馬鹿げたことが行われたことも思い出します。単純に考えれば、4人で1人の高齢者を支えている現在、1人の高齢者が年金の受給を停止すれば、4人の若者が未納でも目先の現状は悪化しないということです。もちろん、未納でいいということではないのですが、年金などもらわなくても問題なさそうな高齢者はわりといるだろうと思います。そうはいっても、私自身40歳代で現在は支えるほうで、いずれ自分が支えられる頃には今よりさらに状況は悪化していると考えているから、こんなことを思うのかもしれません。でも、それでも、考えてしまいます。

 公的年金支給停止制度を強制するようなことは、権利侵害ですから厳に慎まなければなりませんが、未納率を下げるよりは、この制度を利用する人を増やしたほうが、効率よく年金制度の健全化に貢献することは確かです。決して強制はできませんが、この制度の利用を促進するために、利用者に何らかのメリットを与えてもいいと思っています。現状は何のメリットもない、単なる奉仕を求めるだけですが、年金が不要な人は結構いるはずです。例えば、不動産の相続税評価額を下げるためにマンションを建てて、賃貸収入のある人など、いかに不動産から相続税を支払うためのキャッシュを生み出すかに苦労している人もいます。年金をもらっても、いずれ子供たちが相続税を支払うための資金のほんの一部になるだけなら、最初からその分を辞退してもらって、その代わり将来の相続税額を控除してもいいと思います。年金を受け取らないことが、相続税対策になるなら公的年金支給停止制度を利用する人も、無理せずに増えていくことだろうと思います。

 相続税の税収は、1.4兆円くらいです。(平成16年度) 税収全体の2~3%ですが、これが減ったとしてもこの程度なら国のリストラで吸収は可能でしょうし、実質はいわゆるお金持ちが支払う相続税が国民全体の年金に変わるわけですから、決して悪いことではないはずです。

 公的年金支給停止制度を率先して利用した柳沢厚労相が、お金持ちかどうかは別として、高齢者でも元気で働けることほどいいことはありません。働いて収入を得て、その上さらに年金収入までもらわないと不安だとしたら、それはその人がよほどの心配性か、さもなければ世の中の仕組みがおかしいと考えるべきではないでしょうか。

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2007.05.10

ふるさとへの想いを

 東北の港町が私の出身地です。10歳のときに父の転勤で移り、高校を卒業するまで過ごした地です。40歳も過ぎた今となっては、東北の港町で過ごした8年間は居住期間としては一番短く、彼の地に特に実家があるとか親戚がいるわけでもありません。それでも友人はいますし、中学、高校を過ごしたあの港町が私のふるさとだ思っています。

 そんなわけで私はお盆や正月などに、定期的にふるさとへ帰るということもないのですが、一昨年、10年近く久しぶりに訪れたときに、ふるさとの駅前がまさにシャッター通りとなっていてショックを受けました。

 自分の支払う税金の一部を、故郷などの自治体に移すことができるという「ふるさと納税」の創設を政府はめざすといいます。納税手続きが煩雑になるとか、東京のような都市部の自治体は反対するのではないかといった問題はあるようですが、実現したら私は利用するだろうと思います。私の支払う微々たる税金で、故郷のシャッター通りがどうにかなるとは思いません。でも現在は何の接点もなくなった土地でも、昔お世話になった土地に何らかの恩返しと感じられることができるとしたら、税金も支払い甲斐があるというものです。そしてそう感じる人が多ければ、税金の使い道により一層関心を持ちますし、税収にもいい効果があると思うのですが、いかがでしょうか。

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2007.05.08

何かに似てるけど

 夏を思わせる陽気で、色とりどりの花を咲かせていた街路樹もくたびれ気味に思えます。2週間くらい前にはハナミズキが可憐な花を咲かせていました。 0704241_1

ハナミズキというと、一青 窈のヒット曲が有名ですが、この花を見て別なことを思い出しました。ハナミズキには白いのもありますが、この写真のようなピンク色のを見ると、私はNHKの夜にやっていたドラマ「ロッカーのハナコさん」のトレードマークを思い出します。原作が漫画だということを知らずに見始めて、このトレードマークが妙に漫画チックだと思って見ていました。ハナコさんのロッカーにもこのマークが張ってあったと思うのですが、仕事のできるOLにしては似合わないかななどと思っていたのです。その後、漫画が原作だということを知って、だからトレードマークは漫画っぽいのかと勝手に納得していました。

 最近になって街路樹の花を見る余裕ができたのか、というより今年は一斉に花が咲き出したような気がするのですが、いつもは桜が咲いていることくらいしか目に入らなかったのが、今年は桜を眺めていると他の花にも目が行くようになりました。その中で特に目についたのが、このハナミズキでした。恥ずかしながら最初はこれが「ハナミズキ」とは知らず、「ハナコさんの花」という認識だったのですが、街路樹には親切にも花や樹木の名前を書いたプレートが付いていて、「これがハナミズキか」と知った次第です。

ハナコさんのキャラクターのせいか、どうも白いハナミズキよりもピンクのほうが「ハナコさんの花」のイメージは強いのですが、NHKのサイトで見るとこのトレードマークは緑色です。こんな色だっけ?という気もしています。何かに似ていると思っても、自分の記憶やイメージは、やはりそれほど正確ではないようです。

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2007.05.04

本当に冷たい国はどこか

 先月、最高裁は「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求することはできなくなった」との初の判断を示しました。国際法上はいろいろ論争もある分野のようですが、本当に個人の人権を重視するなら、一番オーソドックスに個人は外国政府に損害賠償を求めることはできないとするべきではないかと思います。こういうと個人の人権を重視するなら逆に請求権を認めるべきだろうと思われるかもしれません。でも、一個人が外国政府相手に、相手国の裁判所で裁判を起こして勝訴を勝ち取ることは、普通に考えれば難しいことだろうことは容易に想像がつきます。それを建前だけは認めようとすると、結局は被害者個人の救済がなおざりになってしまいます。

 この判決では、サンフランシスコ平和条約を、

「個人の賠償請求権を含め、戦争中の行為に関するすべての請求権を互いに放棄することを前提に日本と各国の戦争賠償の処理の枠組みを定めたもの」

と指摘していますが、仮にそのように定めていなかったとして、例えば無差別殺戮といえる可能性の極めて高い原爆の被害者がアメリカ政府に対して損害賠償を求める裁判を起こして、満足いく判決をもらえると考えるでしょうか。あるいはシベリアに抑留された人々が、ロシア国内でロシア政府を相手取って損害賠償を求めて、それが認められると考えるでしょうか。

 さらに、原爆被害者に対してあれはアメリカの戦争犯罪だから、被害の補償はアメリカに求めなさい、という態度を日本政府がとって、被爆者への救済措置を何らとらなかったら国際的にも国内からも非難を受けることでしょう。まずは自国の政府が緊急に被害者の救済を図り、その上で相手国に非があるのであれば政府が国民に変わって賠償を求める外交交渉を行ったほうが、被害者の救済という観点からも、現時相手国に賠償させるための実効性の面でも効率的です。サンフランシスコ条約では日本も他国から損害賠償を求められることがあるし、互いに争い合っても建設的ではないからそれを求めないことを確認したわけです。

 中国人元労働者が賠償を求めて日本で裁判を起こすということは、元労働者たちは中国国内で救済を図られていないということを露呈しています。中国国内で補償された上でさらに日本に賠償を求めたなら二重に損害を賠償することになって、いわゆる“焼け太り”になってしまいます。本当に被害者を救済するなら、まずは自国の政府ができることをやって、その上で外交交渉をするのが筋だと思います。

 日本は戦争に負けたのだから外国政府に損害賠償を求められないのは仕方がないことで、中国と同様に考えることはできないという人がいるかもしれません。しかし、中国は勝ったにもかかわらず自国民に被害を出しています。勝ち戦にもかかわらず自国民を守れなかったのですから、それを補償することは当然といえば当然です。その上で日本に求めるものがあるのなら、自国民の個人任せにせずに、政府が交渉するべきです。もっとも中華人民共和国政府は当時なかったわけですが、それは中国国内の事情で日本への賠償請求とは関係ありません。それに中国が日本に損害賠償を求めないことは現在の中国政府が調印した日中共同宣言で明確になっていますから、結局は自国民の被害は自国で救済するということが建前です。明確にその見返りとは謳われていませんが、日本は戦後アメリカから多大な援助を受けましたし、日本も中国には多大なODAを実施しています。ソ連やロシアとの間には、残念ながら冷戦や北方領土問題があってそのような見返りはありませんが、だからといって過去にこだわるばかりでは何も解決しないことは多くの人が認めるところです。

 最高裁の判決は、明確に個人の賠償請求権を否定してはいませんが、結果的に他の係争中の判決に影響を与えます。従軍慰安婦など、あれは元慰安婦といわれる人たちはかなりの虚偽の証言をしているはずだと私は見ています。米議会で証言し、重大な人権侵害とまで言われることがもし本当なら、韓国内で一刻も早い救済をするはずで、いまだに日本で裁判を起こすということは、いかに自国での補償がないかを示すことに他なりません。北朝鮮の拉致被害に無頓着な韓国ならそれもあるかもしれませんが、私が知る韓国の人は人権を理解しないような人たちではないと思っています。ということは、韓国の人たちも、多くはあの元慰安婦たちの嘘を知っていて、あんなのに自分たちの税金を使うようなことはまっぴらゴメンと思う一方、日本がカネを出すならそれはそれで彼女たちはうまくやったと思っているのではないでしょうか。

 いずれにせよ日本にタカる“嘘つき”を野放しにしているのか、本当に気の毒な自国の戦争被害者を放っているかどちらかだと思うのですが、日本の裁判所は被害事実の認定をしている以上、公的には原告たちは嘘つきではないと認めざるを得ません。それならその被害者を放っている本当に冷たい国は、その裁判を起こしている原告たちの母国だということになるようです。

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2007.05.01

原稿さえできれば

0704244  花壇ののつつじが何かをこぼしたかのように咲いています。今年のゴールデンウィークの前半は、バーベキューをしたり、競馬場へ行ったり、休みらしい休みを過ごしていました。その分、原稿の〆切りが厳しくなりましたが。

 子供の頃住んでいた父の会社の社宅に、花壇があってそこにはつつじが植えてありました。毎年この季節には紅白のつつじか゛咲いていました。つつじの花をもいで下からチュウチュウ吸うと、甘い蜜が吸えたのを思い出します。

0704245 0704242 子供の頃に見ていたつつじは、もっと大振りのものでしたが、こういう小さいのもいいと思います。というか、目がチカチカするのですが、このチカチカする感じが30年以上も昔の記憶を蘇らせてくれるかのようです。

 このチカチカするつつじを眺めていると、小学校でやった色覚検査を思い出します。やたらとチカチカする模様の中に数字や文字が書いてあって、それを読めるかどうかという検査でした。小学校の3年生か4年生の頃、身体検査の時間に、身長や体重など一通りの検査のあと最後がこの色覚検査で、担任の先生が教室でこの検査をしていました。ところが、ある文字だったか数字だったか、先生自身が読めないといって悩んでいたことがありました。少し津軽弁の訛りが残っていた大学を卒業したばかりの若い女性の先生でした。子供たちは「先生、色盲だ!」とはやしたてて騒々しい教室の様子を思い起こします。そんなことになぜか懐かしさを感じます。

 つつじといえば、私の住む多摩地区では塩船観音がでしょうか。仕事でこの近くを回っていたことがありますが、普段はガラガラの駐車場がこの時期は一杯になったのを覚えています。ゴールデンウィーク後半も、ゆっくりと過ごせたらいいなと思います。原稿さえできればですが。

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